トップページへ!
徹歴序文。徹歴の始まりはここから
徹歴案内図。徹歴に初めて訪れた方はご参考に
徹歴の常連たちの紹介です。あなたも常連になったら書こう!
徹歴の主宰支部長の部屋
徹歴瓦版。最新の歴史ニュースをキャッチ
ゲストブック。来訪の記念にどうぞ
徹歴掲示板
徹歴フォーラム
徹歴チャット
徹歴イベント掲示板
徹歴伝言板
徹歴リンク
よもやま社中








徹歴ラウンジ
徹歴図書館
徹歴研究所



徹底歴史研究同盟序文

主宰 支部長 筆


たとえばプロ野球で、熱烈な巨人ファンで巨人の選手の情報はもちろん、試合もかかさず全部見ているが、他球団のことは全く知らない、もしくは知ろうともしない人について考えてみましょう。確かにその人は野球を非常に楽しんでいると感じるかも知れませんが、他球団の選手などについてもある程度知っておかないと、応援している球団について客観的に判断ができないと思います。そうすると戦力分析や戦略など、野球のもう一つの楽しみを味わえません。結局その人は、野球を楽しんでいるのではなく、巨人を応援することを楽しんでいると言えます。

逆に全球団の情報を知っていてプロ野球ニュースも見ているが、実際の試合を一回も見たことがないからにな人はどうでしょうか?確かに彼は冷静な分析や戦略ができてそれなりに楽しいでしょうが、やはり試合を生で見ないと野球のダイナミズム、その場の興奮は味わえないでしょう。ですから彼も野球を十二分に楽しんでいるとは言えないと思います。

やはり野球を楽しむというのは、全球団についてそれなりに知っていて、その上で一試合一試合を楽しむということだと思います。そして本当に野球の醍醐味を味わうなら、実際に自分が野球をするのが一番でしょう。そうすると見ているだけでは分からなかった野球の別の面が見えてくるかも知れません。

これを歴史で考えてみると、戦国時代や三国志は非常にファンが多く、聞いたこともないようなマイナーな武将をたくさん知っている人も数多くいます。ですが戦国時代・三国志だけにこだわっているとかえって戦国時代・三国志そのものの理解はなかなかできないものです。三国時代に至っては、多くの人が三国志と思っているものは「三国志演義」というもので、実は三国志を元に後世に作られた物語に過ぎないのです。これなどは歴史と呼べる代物ですらありません。

ですからその人たちには悪いのですが、はっきり言ってしまうとそれは歴史ではないのです。あなたが好きなのは講談本・時代小説のたぐいであって、間違っても歴史ではないのです。大局に影響を与え、その後の歴史を少しでも変えた者だけが歴史上の人物と言えるのです。 ただ、ここで誤解しないで頂きたいのは、私は別に演義の存在を否定しているわけではありません。長い時代のなかで練られてきたその物語性は絶品で、私も未だに演義は好きです。ただ、それは歴史ではなく一つの物語にしか過ぎないということです。半数以上の三国志ファンはそんなこと百も承知でしょうが、中には「誰それこそ中国最高の将軍だ」とか言う方がいらっしゃいますので。結局のところ、それはガンダム、銀河英雄伝説などと同じようなもので、架空の物語であって架空の物語であるからこそ一層惹き付けられるものなのだと思います。

だいたい歴史系のページの人気ランキングを見ると、真田幸村であるとかそういう人物が上位に来ていることが多いですよね。ひどいのになると聞いたこともないような人物もちらほら見受けられます。歴史オタクの救いようのないところは、どれだけマイナーな人間をどれだけ知っているかに執着しがちな点です。はっきり言って、戦国時代で覚えるべき人物など20人に満たないでしょうし、ましてや三国志であれば曹操以外は覚えてもしょうがないのです。

私も中学の頃は三国志・戦国時代が大好きだったので、そこらへんのオタクには知識量では負けない自信がありますが、そんなものはなんの自慢にもなりはしないのです。しかも、それだけ戦国などに詳しいのにも関わらず、戦国時代の特徴・意義などについて尋ねると、何も有益な答えは返ってきません。なんのためにハマっているのでしょうか? 例えば私は土方歳三や河井継之助が好きですが、それはあくまで個人として好きなのであって、歴史という観点から見たら彼らは何の功績も残していない点で、別に歴史にいなくてもよかった存在なのです。

歴史というものはコーヒーのようなもので決して甘いものではありません。しかしその苦みをよく味わうと、ほのかに甘さが感じられる。歴史とはそんなものなのです。失敗の歴史からこそ多くを学ぶべきなのです。歴史オタクが歴史と言っているのは、私に言わせればコーヒー牛乳のようなものです。ガキが飲むものです。中学生・高校生ならいざ知らず、それ以上の人間がいい歳をこいて、狭い歴史をひそかに楽しむのにはあまり感心ができません。

だからといって私はそういうミクロ的な歴史を全て否定するものではありません。歴史へとっつきやすくするためにも、また当時の雰囲気を知るためにもミクロ的な歴史認識は必要です。しかしそれだけではいけないのです。その時代の背景・因果関係を考えていかねば、真の歴史認識からはほど遠いものになってしまうからです。マクロ的歴史・ミクロ的歴史の両方を学んでこそ、本当に歴史は楽しいものになると私は考えています。


歴史というのは単にその時代について学べるだけでなく、他の国・他の時代を見るときの秤にもなるのです。他国の歴史を学ぶことで、その国の国民性・文化を、ひいては自国の国民性・文化を知ることができます。そしてその上で自国の歴史を学ぶことは今の自国の立場などをはっきりと認識させてくれます。

逆に今学校で学ぶ歴史というものは各国・各時代について幅広く学びますが、どうしてもその時代の息吹というものが感じられません。このような歴史をいくら学んだところで、それは過去と隔絶された死んだ歴史に過ぎません。 歴史というのは過去数え切れない人たちが作り上げてきたドラマの積み重ねなのです。そういうドラマをローラーで挽きつぶしたものでは歴史のダイナミズムは味わえないでしょう。

ですから歴史を本当に楽しむなら、幅広く歴史を学び、その上で各国・各時代の歴史について詳しく見ていかなければばらないのです。そうすれば今まで見えなかったことが鮮明に見えてきて、歴史は非常に面白くなります。 そして本当に歴史を肌で実感したいのであれば自分自身で歴史を作ることでしょう。それこそが最大の歴史の楽しみであると言えます。歴史は過去の遺産ではなく、現在もなお続いてるものなのです。

そして歴史を勉強する上で気をつけて欲しい点は、今の時代と当時では価値観その他が違うため、今の時代の感覚でその時代を捉えてしまうと、間違った時代認識をしてしまいかねないという点です。その時代の社会通念・風俗・理念などについて十分に吟味し、その時代に降り立った気分で歴史を鑑賞しなければならないのです。そのためには単なる歴史書だけではなく、その当時に書かれた小説や娯楽関係のものを読む必要があるでしょう。その時代の息吹を感じつつ、かつ冷静にその時代を観察すれば、自ずとその時代が見えてきます。

こうした歴史認識をなぜするかと言いますと、それは単なる自己満足ではなく、今という時代を、もしくは人間が構成する社会というものを考える指標になるからです。そうです。歴史を考えることはなにも過去の理解だけではなく、過去の連続により構成されている「現在」への理解にもつながるのです。そのためにもきちんとした歴史認識によって、その時代の背景、出来事の因果関係について学ぶことを忘れてはならないのです。

偉そうなことを言ってきましたが、私もまだまだ勉強の足りない点が多々あります。みなさんのご助力を得て、このページがそういう歴史認識の手助けになれば幸いです。


徹歴はWEBSPEED社の協賛を受けて運営されております。
フランチャイズ 携帯電話 代理店 フレッツ
ボタンを押すとスポンサーサイトに飛びます
徹歴のコンテンツの著作権は徹歴に属します。
copyright. tetsureki.com all rights reserved

tetsureki@infoseek.jp


ウィルコム
屋根工事
屋根修理
ハローワーク
2ちゃんねる
屋根修理