編者序文 一ノ風
 基本方針としまして、ここに載せる資料には資料的価値よりも、内容と実質を知ることを目的としたいと思います。 そう言うわけで、カタカナはひらがなに直し、歴史的仮名遣いも現代仮名遣いに改めました。 読みにくい漢字にも括弧をつけて読み方を併記してあります。編集の都合で多少原文と違う箇所もあります。  
引用は自由にしていただいて結構です。  

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日清戦争後の三国干渉に関するやりとり

あらすじ

ややこしい話は抜きに簡単に言うと、1894年朝鮮問題などで各所で対立した日本と清で戦争となり、結果日本が勝ちます。 そして1895年日清講和条約(いわゆる下関条約)が結ばれ、多額の賠償金と共に遼東半島、台湾、澎湖諸島が日本の領土となります。 南下政策を取り密かに(というか公然と)華北地方などを狙っていたロシアは、日本が中国に進出するのを好もしく思っていないフランスとドイツを仲間に 遼東半島を中国に返還するよう迫ってきたのでした。



露仏独三国の遼東半島遷付勧告
いわゆる三国干渉

明治28年(1895年)4月23日受領



(イ). 露国(ロシア帝国)行使よりの勧告覚書

 露国皇帝陛下の政府は日本より清国に向かって求めたる講和条件を査閲するに、 その要求に係る遼東半島を日本にて所有することは、 常に清国の都を危うするのみならず之と同時に朝鮮国の独立を有名無実となすものにして、 右は将来長く極東永久の平和に対し障害を与うるものと認む。
 随って露国政府は日本国皇帝陛下の政府に向かって重ねてその誠実なる友誼を表せんが為、 茲(ここ)に日本国政府に勧告するに遼東半島を確然領有することを放棄すべきことを以ってす。


(ロ).仏国政府よりの勧告

 仏蘭西(フランス)共和国政府の意見にては、 遼東半島を領有することは清国の都を危うし朝鮮国の独立を有名無実に帰せしめ、 且つ永く極東の平和に対し障害を与うるものなりとす。
 仏蘭西共和国政府は重ねて茲に日本国政府に対する友情を彰表せんと欲するが故に、 帝国政府に向かって該半島を確然所有することを放棄ありたく旨友誼上の勧告を与うる事は仏国政府の義務なりと思考す。


(ハ).独国行使よりの勧告

 本国政府の訓令に従って左の宣言を致します。
 独国政府が日清講和の条件を見れば貴国より請求したる遼東の所有は、 清国の都府をして何時迄も不安全の位置に置き且つ朝鮮国の独立をも水泡に属させ、 よって東洋平和の永続の妨げになることであると認めなければなりませぬ。 それゆえに貴国政府が遼東の永久なる所有を断念なさるように本政府が御勧告致します。
 此の宣言に付きまして次のことを申し上げるように云い付けられました。 現今日清事件の最初より本国政府が貴国に対してその懇親なる心の証拠を顕わしたる、唯一度の事でないと存じて居ります。 ご承知の通りに昨年10月7日にも英国政府が欧州各国に日清事件に干渉することを申し込んだが、 其の節独逸国が日本国に対しての懇篤に依って干渉を断りました。 それから、また当年3月8日を以って本行使が本国政府の命令に従って、 貴国政府が夥多の請求を為さらないでなるべく早く講和を結ぶ様に御勧告致しました。 其の時に申し上げましたのは欧州の諸国が清国の願いに応じて干渉致すかも計られませぬと云うことに依って、 日本国は若し夥多の請求をせずして早速講和条約を締結なさるのなら却って其の方が利益があるだろうと云う事でございました。 それに続いて日本国若し大陸の土地の譲渡を要求すれば、之は最も干渉を惹起すべき要求であるだろうと申述しましても、 貴国では此の利己心なき勧告に応じませんでございました。
 現在の日清講和の条件は全く度に過ぎて欧州諸国の利益上にと、並びに譬(たと)え幾分かは少なしと雖も又独逸国の利益上にも害があると認めます。 それゆえに現今は本国皇帝陛下の政府も供に抗議を提出しなければなりませぬ。 且つ必要がある場合には其の抗議をして有効にならしめることもありましょう。 三国に対する戦いは所詮日本国に望みの無いことであるが故に、 貴国此事件に付きましては譲ることが出来ないことはなかろうと存して居ります。 尚日本国政府が名誉を失う事無くして今の地位より退くことの途(みち)を講ずるために、 「コンフレエンス(英語のconference〈会議〉に当たる言葉であろう)」を開く等の事を望まるれば、 その旨を電報にて本国政府へ送れという内訓をも受けて居ります。







英国政府の局外中立決定報告

4月29日英国駐箚(駐留の意)大使 加藤行使より陸奥外務大臣宛(電報)




  4月29日 午後1時55分 倫敦(ロンドン)発
     30日 2時20分 着
加藤行使    

    京都
         陸奥外務大臣
第101号

 英国外務大臣は本日左の通り確答を為したり。

 英国政府は曩(さき)に局外中立を守るに決したればこの度も同一の意向を維持せんと欲す。 英国は日本国に向って最も懇篤なる感情を懐くと同時に、 己の利益をも考えざるを得ざるに付き提議の譲歩に関し日本国を助くる事能はず。 而(しこう)して該譲歩は各国を満足するものに足らず、 また露国は真に決心するところあるがごとし。
 本使は外務大臣に向い英国政府は伊国政府より何か通知を得たるやと問い合わせたるに、此に答えて、 特に伊国より通知を受けざれども伊国も英国と均しく日本国に対し友誼を懐き居ることは承知なりと言えり。




三国政府の勧告に応ずる覚書提出すべき旨訓令の件


(1).在日露国、独国、仏国公使より提出せし覚書に対する回答
(明治28年4月30日 京都発 在外日本公使をして各国政府に提出せしむ)

日本帝国政府は、露国皇帝陛下、独国皇帝陛下、仏国の特命全権公使閣下が基本国政府の名を以って帝国政府へ提出されたる覚書を最も慎重に査閲し了せり。

日本国皇帝陛下の政府は、露国皇帝陛下、独国皇帝陛下、仏国大統領の政府の友誼の勧告を熟考し、且つ茲に再び両国間に存する親密の関係を重視する証拠を表彰せんと欲するが故に、 下関条約の批准交換に因り日本国の名誉と威厳とを完ふしたる後別に追加定約をもって該条約中へ左の修正を加うることを同意す。

第一、帝国政府は其の奉天半島に於ける永代占領権は金州廰を除く外は総て之を放棄することを同意す。 尤(もっと)も日本国はその放棄したる領土に対し之に代うべき報酬として相当なる金額を清国と協議してこれを定むることあるべし
第二、然れども帝国政府は清国に於いて日本に対する其の条約上の義務を全然履行するまでは担保として前記の領土を占領するの権あることと知るべし。


(2).5月5日(在京都) 陸奥外務大臣より露国駐箚西公使宛

   5月5日 京都発

陸奥外務大臣      

   在露
      西 公使

閣下は左の文書を仏文に訳し露国政府へ提出せらるべし。

日本国政府は露仏独三国政府の友誼ある忠告に基き奉天半島を永遠に占領することを放棄することを約す。
右提出のときに当りて閣下は左のことを申さるべし
日本政府が斯く誠実に三国政府の忠告を容るるは刻下の事体をして早く終局に至らしむるを望むが故なり
閣下は若し露国政府の抗議を惹起すの虞(おそれ)無しと思はれなば、左記の二項又は一項にても申し述べられるべし
第一、日本政府は放棄したる土地に対し清国より報酬を要求するの権利を保有す。
第二、日本政府は清国が日本に対する条約上の義務を履行する為の担保として暫時該半島を占領するの権利を保有す





対韓政略に関する閣議決定


  明治28年6月4日

 我が対韓の政略は其の独立を認め清国の属邦を主張するの説を排除し、竟(つい)に其の独立の実を挙げしめんとするにあり。 客歳日清交戦の起因も全く茲に胚胎し、而して我が戦勝の結局清国をして完全なる独立たるを認めしめ、 且つ露国をも我に向って名実共に其の独立を看認せしむことを求め、 之に対し我従来の政略に基き数回宣言したる等の事由に依り将来の対韓政略は成るべく干渉を息(やす)め自立せしむるの方針を執るべし。
 故に他動の方針を執るべきことに決す。
 右決議の結果として同国鉄道電信の件について強いて実行せざるを期す。



奉天半島還付条約
  1. 明治28年(1895年)  11月8日 北京において調印
  2.               11月17日 批准
  3.               11月29日 北京に於いて批准書交換
  4.                12月4日 公布


 大日本皇帝陛下及び大清国皇帝陛下は日本国より奉天省南部の地一切を清国に還付する為に条約を締結する事に決し、 之が為大日本帝国皇帝陛下は北京駐箚特命全権公使正四位勲一等男爵林薫を、 大清国皇帝陛下は欣差全権大臣太子太伝文華殿大学士一等肅毅伯爵李鴻章を 各其の全権大臣に任命したり。因って両国全権大臣は互いに其の全権委任状を示し其の善良妥当なるを認め左の諸状を協議決定せり。

第一条 日本国は明治28年4月17日、即ち光緒21年3月23日締結の下関条約第2条に因り清国より日本国へ譲与したる奉天省南部の地方即ち鴨緑江より安平河口に至り鳳凰城 海城及び営口に亙(わた)る以南の各城市、及び遼東湾東岸並びに黄海北岸に在りて奉天省に属する諸諸島の主権を挙げ 本条約第3条の規定に依り日本国軍隊が総て撤退する時該地方に現在する城塁、 兵器製造所及び官有物と共に永遠清国に還付す。因って下関条約第3条及び同条約中陸路交通及び貿易を律する為一の条約を締結すべしとの規定は之を取り消す。

第二条 清国政府は奉天省南部の地還付の報酬として庫平銀3千万両を明治28年11月16日、即ち光緒21年9月30日迄に日本国政府へ払い入ることを約す。

第三条 本条約第2条に規定したる報償金庫平銀3千万両を清国より日本国へ払い入れたるときは其の日より三箇月以内に還付地より日本国軍隊を総て撤退すべし

第四条 清国は日本国軍隊還付地占領中之と種種の関係を有したる清国臣民あるも、これを処罰し若しくは処罰せしめざる事を約す

第五条 本条約は日本文、漢文、英文にて各二通を作る。而して之の三本文は総て同一の意義を有すと雖も、若し日本文と漢文との間に解釈を異にしたるときは英文によって決裁すべきものとす。

第六条 (省略)批准書交換に関すること。特に重要で無し


署名







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