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ちょっと一言のコーナー12

〜支部長の茶飲み話〜
えー、みなさんこんにちは。帰ってきた支部長です。もうネタを考える気力もなく、パソコンに向かってこれを書いている支部長ですが、みなさんはどうでしょう?なにがどうなのかは知りませんが。
近頃支部長は非常に物憂いのです。別に恋しているわけではありません。私の愛はみんなのものなので、一人に独占させてはいけないような気がするからです。え?別にいい?なーんだ、じゃあ愛子ちゃんとつきあっていいんですね。やったー!・・・・書いてる本人も馬鹿馬鹿しくなってきました。もちろん愛子ちゃんというのはフィクションです。というか、愛子って名前の人にまだ会ったことがありません。

さて、ひねもすのたりのたりかな、といったところで、本代に入りましょう。あれ、間違えた本題に入りましょう。そう、誤変換を直す気にもならぬほど、支部長はおっくうなのです・・・

今回のテーマは「司馬小説について」です。
前にも述べたように、小説というのはフィクションであって、脚色がされているわけですが、その中でも、史実に最も近いようで全然違う司馬さんの小説について語ってみたいと思います。全体的な話は直弼さんが諸子百家の方でやっているので、私は具体例でやっていきます。

まず、有名どころの「竜馬がゆく」です。もう司馬さんといえばこれ、というくらい有名な小説ですね。サラリーマン御用達の本でもあり、青少年に読ませたい本ナンバーワンでもあります。今日はこいつを料理してやろうと思います。
ここで誤解がないように言っておきますと、私は司馬さんの小説は大好きです。小説家の中では最高峰だとも思っております。ただ尊敬はしていても盲信してるわけじゃないので、そのまんま受け入れるわけにはいかないのです。

えー、まず見て欲しいのが題名です。「竜馬がゆく」・・・・なんか気が付く点がないですか?そう!「龍馬」ではなく「竜馬」になっているのです!一応正式には龍馬なんですよね。それを司馬さんはなぜ竜馬としたのでしょう?
それは、この小説に描かれている竜馬が史実の龍馬とはちょっと違うんだ、ということを司馬さんが言いたかったからではないでしょうか?この小説の竜馬には司馬さんの味付けがなされている、ということを題名で断っておきたかったのではないでしょうか?なーんて偉そうなこと言ってますが、この話は加尾さんという方から聞いた話で、私が気が付いたわけではないんです。まあ、いいや。

私は龍馬関係の資料をもとに龍馬日記を作っているのですが(近頃更新してませんが)、資料を見るに従い、我々が想像する龍馬像とはちょっと違うことに気が付くのです。
まず、龍馬と言ってみなさんが想像するのは、その天真爛漫で、なにものにも囚われない自由な性格ですが、少なくとも資料を読む限り、それを証明するようなものが非常に少ないのです。彼の手紙を見ても、確かに姉の乙女にあてた手紙は非常におもしろおかしく書かれているのですが、他の人にあてた手紙は非常にきちんとしていて、龍馬のイメージに合わないものばかりです。よくよく考えると、肉親におちゃらけた手紙を書くのはむしろ当然で、本当に龍馬がイメージ通りの人間であれば、少々親しい人間にもこういう手紙を送るのではないでしょうか?
このほかにも龍馬の有名なエピソードの中には、後世脚色されたものが多く存在します(山本琢磨時計取得事件など)。

確かに、龍馬が人的魅力にあふれる人間であったことは確かですが、司馬さんなどの小説に描かれている龍馬ほどであったかどうかは甚だ疑問なのです。勝も龍馬を表して「西郷をもっと抜け目なくしたような」と表しています。少なくともああいったおどけた龍馬ではなかったはずです。

また、勝の評価ですが、これも変なんです。司馬さんの小説には、勝と龍馬の関係は非常に深く、勝は龍馬に理想を託したとまで書かれていますが、実際勝の日記を見てみると、龍馬に関する記述がかなり適当なんです。龍馬とはじめて会った時のことも、さらっと書かれていますし、なにより同行者が有名な千葉重太郎ではありません。このへんからも、かの有名な勝との初対面のシーンは史実ではない、という可能性すら出てきます。

また、勝の後日談なんかにも、龍馬の名はあまり出てこず(もちろん出てくることは出てきますが)、西郷の話題と比べるとかなり見劣りがします。これを、勝は龍馬の名を敢えて出さなかったんだと憶測することもできますが、どうも納得がいきません。近頃では、薩長同盟は龍馬の手柄ではない、ということまで言われています。
薩長同盟を龍馬がお膳立てをしたという説の根拠は勝の「薩長同盟や大政奉還はね、あれはみんな龍馬がやったのさ」という言葉からきているのですが、まず勝がなぜこういうことを言ったかを考えねばなりません。
まず勝はホラ吹きです。と同時に皮肉屋でもあります。おそらくこれは、維新後幅を利かしている薩長の連中に、「おまえたちが維新を成し遂げたんじゃないよ、俺の弟子の龍馬が全部やったんだよ」、と言いたかったのではないでしょうか?勝は新政府で重職につきますが、しばらくして辞職しています。その後の言動を見ても、新政府のことをどうやら嫌っていたようですし、あの発言はそういう背景から生まれたのでしょう。

また、龍馬の評価を決定づける、海援隊や大政奉還も、勝海舟・大久保一翁のアイデアをそのまま使っているだけですし、海援隊は好意的に見ても成功したとは言えません。これは極論ですが、龍馬は大風呂敷を広げることはあっても、それを現実のものとする能力が無かったと酷評することすらできそうです。
今の龍馬の評価には薩長の思惑と、それに従い、後世の人々が彼に夢を託した結果の評価だと言えそうです。

もちろん、そういうことを加味しても、坂本龍馬が維新の傑物であることは事実です。ただ、今のように維新のナンバーワンとまで言われるほどの者であったかは疑問だということです。司馬さんの龍馬は、司馬さんの理想がこもった、いわば演義の竜馬だということを覚えておいて下さい。

というわけで、全国一千万人の龍馬ファンに悲しみと怒りを与えてしまったところで、今回は退却させてもらいます。これは逃げるんじゃありません。戦略的撤退です(^^;

(まさか9月実は8日 夕暮れにまったりとして)

編集後記 またまた断っておきますが、私は坂本龍馬は大好きです。しかし、勝手に彼に期待するのは酷です。現実的龍馬を見ましょう。今回は龍馬を扱ったわけですが、次回は河井継之助か土方歳三にしようと思っています。みなさん期待せず待っていて下さい。
あと、この文章に関するお問い合わせ・苦情などは一切承っておりません。意義のある方は意義ありと叫んで下さい。もし私の耳に届けば、私から出向きます。また、くどいようですが、私に対する激励の文をお待ちしております。宛先はこちら。いや、マジで送って。










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