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新・ちょっと一言のコーナー

〜支部長覚醒余話〜
ひゃっほー!!今日は。今晩は。そしておやすみ。
本日もこのシブチョ少佐、少将と共に茨の道を歩む覚悟であります。というか、むしろ茨の道からこっちへ来ているとも言え、ということは我らは一生茨の道からを歩き続けるということで、最終的にはのたれ死にですか?

えー、本日は皆様に悲しいお知らせがあります。そう、支部長が転校することになりました。みんな短い間だったけど本当にありがとう。ボク一生みんなのこと忘れないから。忘れないよ!絶対!

のっけから感動的な結末で始まった今日の「ちょっと一言」。既に涙を滝のように流しているか方もいるかとは思いますが、ここは気を取り直していきましょう。
ちなみに今日のテーマは「教育」についてです。そう、前振りとちゃんと連動しているんですね。私も今気がつきました。そんなもんです。うーん、ドラマチック。

さーてはてさて、なんのことやら。最近では教育改革がブームのようで、一体どれだけ改革すれば気が済むんだ、というくらい改革しまくってますね。なんか教育に恨みがあるんでしょうか。
まー、改革するのは別に構わないんですが、ときたま「レレレ?」って言いたくなるときがあるんで今回は言っちゃいます。心して聞くように。一回しか言いませんよ。

ここから少々真面目モードに突入。

まず言いたいのは、一体この改革で目指す教育とはなんなのか、ということです。見たところ根本に流れている原則は「ゆとりある教育」のようです。まあ、授業時間を減らして知識の詰め込みから脱却して、その分個性ある人格の育成に重点を置くということだそうです。個性というところでちょっとひっかかるんですが、まあいいでしょう。

「ゆとりある教育」を目指すと言うことは、今の教育はゆとりがないと考えているんでしょう。まずここで疑問なんですが、どこを指してゆとりが無いというのでしょうか。確かに低年齢での犯罪は増えているかもしれませんが、それを直接学校に向けるのはどうかと。なぜなら、こういった傾向は最近になって起き始めているんですが、教育課程は昔から変わっていない、いやむしろ楽になっているんですよね。「ゆとり」が我々より無かったはずの世代の方が上手くいっているというのは少しおかしいのでは?

それに私が見たところ、今の中学高校は私立を除けば非常にゆとりがあると思いますよ。というか、むしろありすぎです。ゆとりを通り越してだらけているように見えます。これ以上ゆとりを増やせば、学校は学ぶところではなく、単なるパラダイスになってしまう気がします。
授業についていけない生徒が増えていると言いますが、どんなに楽にしてもついていけない生徒というのは出るものですし、少なくとも単純にカリキュラムを減らせばいいという問題ではないはずです。

まず、授業を減らせばゆとりが生まれる、とか、ゆとりがあれば個性ある生徒が育つ、とか根拠のない常識を改めて欲しいものです。そんなこと言ったら部活なんか真っ先にやり玉にあげられそうじゃないですか。いくらゆとりがあってもダラダラするヤツはダラダラしますし、ゆとりが少なくとも時間を有効に使うヤツもいるんですよ。
私なんかはそういう意味では真っ先に犯罪を起こしそうなくらい厳しい進学校にいましたが、幸い犯罪なんか起こしませんでしたし、要領よく遊んでましたよ。私の倍は時間余ってる人間が「ストレスが・・・」とかほざいているのを見ていると飛んでいってぶん殴りたくなります。

既に度重なる改革で、20年前に比べれば確実に楽になっているんです。このレベルで止めておけばいいのに、さらにカリキュラムを減らすというのは、国家として自殺行為にしか思えません。
日本が模範としているらしいアメリカでは、逆に日本を真似た教育改革が行われているんですよ。20年後には綺麗に逆転しそうですね。今までアメリカの教育水準の低さをバカにしていたのが、今度はアメリカにバカにされる日が来るのかもしれません。

まあ、別にバカにされようと構わないんですが、日本の長所の一つは教育水準の高さにあったはずです。これは何も戦後に限らず、歴史を通じて日本の教育水準の高さがどれほど日本史に貢献してきたか分かりません。その長所を、新たに補う長所の具体像が決まってもいないのに、適当に捨て去るというのは少々どころか大いに疑問なのです。

一番怖かったのは、そのアメリカの教育改革について、どのマスコミも「知識偏重型への逆行」と定義づけていることです。ちょっと待て。なんでそうなる?もはやパブロフの犬状態。この結論に至るまでに何秒脳味噌を動かしたんでしょうか。もはや本能の世界にまで到達してしまったんでしょうか。
もちろんそういう側面もあるでしょうが、別の側面もあるでしょうに。その別の側面の存在を全く考慮していないところが怖いです。

今の子供の諸問題が全て教育制度にあるという錯覚は、マスコミ等によって拡大されてきたのかもしれません。子供というのはずる賢いもので、なにか問題を起こしたときに「学校でうまくいかなくて・・・」とか「勉強でストレスがたまった」とか言えば大人が大目に見てくれるということを知っているのです。それを大人が真に受けるからどんどんおかしくなります。
そりゃあ、全く要素として無いとは言いませんが、今に始まったことでもないですし、もしそうだとしても犯罪を起こしていいという理屈にはならないでしょう。愉快犯を除き犯罪には常に理由があるわけですから、学校が、勉強が、だけが特別扱いされるのには納得がいきません。

まあ、あとは家庭ですかね。最近の親はしつけというものをどうも軽視しているようで、共同生活を始める上での基本的なマナーがなっていない、平たく言えば獣と同レベルのガキを量産して下さっているようで、全くお礼の言葉もありません。このご恩は拳でお返ししたいところです、はい。
ま、今の親は反社会的運動がブームになっていたときの世代なんで、どうしてもしつけとかに反発を覚えるんでしょうね。でも、人間も結局は動物なんですから、ある程度のしつけは必要ですよ、奥さん。

そういう獣レベルのお子様のために授業が壊されるというのは、どうも救いようがないですね。教師が代わりに叱ったり叩いたりしたら、親やPTAが飛んでくるし・・・。文句言うくらいなら、てめえが家庭でしつけをしとけってんだ、この野郎。おっと、汚い言葉を使ってしまいました。下々の言葉が移ったようでございますです。

体罰という言葉も魔術的な響きを持っていますね。この言葉を作った人は天才かも。授業を邪魔する生徒を叩いたということも、『体罰』という名に変えられると、イメージが全然違いますからね。まあ、理不尽、行き過ぎの体罰は勿論あってはならないことですが、少なくとも体罰を根本から否定すると、よほど躾がきちっとされた生徒でない限り難しいですね。

先生という問題を考えても、生徒に媚びを売る先生の方が親からは評判がいいそうで、厳しい先生はどんどん追いやられているようです。まず、教師は「師」であって、友達ではないのです。生徒と仲良くなるのは重要ですが、一線を引くことは必要だと思います。まあ、難しいですけどね。

あと、学力別クラス分けなどの、いわゆるタブーに関してももっと考えて欲しいです。なぜ学力別クラス分けがダメなのか。未だに説得力のある答えに出会っていません。もちろん学力別クラス分けが一番だとは言いませんが、3年とかになると学力の差がはっきりと出てきますからね。それを同じクラスで教えること自体がそもそも難しいと思います。
この際皆さんに覚えて欲しいのは、民主主義・資本主義下では、「機会の平等」はあっても「結果の平等」は無い、ということです。最近これを混同する人が多いので。運動会なんかでみんなでゴールとか。アホらしくて顎がはずれそうです。仲良し大会じゃないちゅうねん。イヤならソ連・・・もうないか。んじゃ、キューバにでも行ってきなって言いたいです。

というわけで、本日も私の愚痴におつき合いいただきありがとうございます。って寝てる?んじゃ、おやすみ。

編集後記 とにかく、私がこのシリーズで言いたいのは、根拠のない常識を排除せよ、ということです。もしくは自分で考えろ、ということです。めっちゃ偉そうで自分でもイヤになるんですが、他に言いようがないんで。
他にもいっぱいありますから、ネタには困らないでしょう。ペットを飼っていると優しい人、みたいなイメージも破壊していきたいものです。あと、ここでは敢えて触れませんでしたが、所沢高校の入学式拒否問題に関してもいずれ一言言うつもりです。










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