なんか久々すぎてこのコーナーの存在自体も忘れられていると思いますが、それはそれで好都合なので気にしません。今日も今日とてこのしぶちょ、力の限り吠えていきたいと思います。
本日のテーマは「人間の深さ」です。(本当か?)
某メーリングリストで「日本史の素養がない日本人が多い」という発言があった。まあ、全くその通りなんだけど、「素養がない」って言い方はどうかなあ、と思う。なんか凄く偉そうな言い方のような気がするんだけど、気のせい?
素養って言葉が指すのは基本的に学問などの教養的なものが多いと思うのだが、素養ってそれほど大したものなのかなあ。他の人より歴史の素養があっても、コギャルよりは流行の素養がないし、オタクよりはアニメ・漫画の素養がないと思う。
私は常々思っているのだが、歴史や文学などの知識と、漫画・ファッション・競馬などの知識を比べると、大抵の人は前者の方が価値があると見なしている。本当にそうだろうか?私はそうは思わないのである。
前者も後者も人間という生き物の営みの結果生まれたものであって、そこに優劣関係などないと思うのだが。漫画やファッションや芸能人でも競馬でも、そこから何かを学ぶことはできるだろうし、歴史や文学をいくら勉強しても何も学ばない人は学ばないだろう。
私は嫌いなのだ。難しい小説を読んだだけでインテリぶっている連中が。ドストエフスキーだかニーチェだかM・ウェーバーだか夏目漱石だか知らないが、私はそんなに大したものだとは思わない。彼らの著作が世に出て既にどれだけの月日が流れたか。その時センセーショナルであっても、今はもうそれほど衝撃的ではないのである。
勿論こんなことを言っていても、私は彼らの著作は素晴らしいと思っているし、現に好きである。ただ、根拠のない権威主義というか、そういうものは嫌いなのだ。
漫画や映画の方が優れている分野もある。手段に優劣などない。音楽でも、クラシックだろうとジャズだろうとハードロックだろうといい物はいいんであって、そこに優劣はない。
大抵の人はこんなことは百も承知だろうが、中にはいるのだ。勉強が出来て本が好きでNHKが好きでクラシックが好きで、遊びに興味がなく漫画も読まずバラエティも見ず流行りの曲も聴かない連中が。別にそれを非難する気はさらさらないが、人よりも世界が狭いことは自覚すべきである。頭の良し悪しは想像力の豊かさによる。世界の狭い人間が頭が良くなるわけなかろう。
自分とは価値観の違う人間を理解できない人間はダメだね。むしろ、自分の知らない世界を知っているということで、ある種の敬意を抱くくらいでないといかん。
「真面目」という言葉にも私は大いに疑問である。果たして真面目であることがそんなに良いことなのか。真面目ということはつまりどういうことか。それは反骨精神がないということである。今ある価値観を何の疑いもなく受け入れることができるからこそ真面目でいられるのだ。
少なくとも若いうちは大人の価値観を真っ向から否定し、自らの価値観を探求するくらいの反骨精神がないといかんと私は思う。そういう「青さ」を唯一許される時期が文字通り青春であるはずだ。
そういうことを踏まえた上で真面目であるなら、それが一番素晴らしい。今世間的に真面目と言われている人間は大半が特徴がなく自己主張のない人間にみえてしかたがない。
私の中学時代からの親友に東大生がいる。彼は東大に入るくらいだから勉強もよくできるし、真面目で実直な性格である。しかし、彼は東大生にありがちな世間知らずでもないし、話していて面白いし、話題も豊富だ。私と彼が喋ると、政治・経済から芸能界、最近の曲、野球・バレーと、話題が飛びまくる。全くもって普通の人なのである。やっぱりどんなことにも興味を持てる人間は素晴らしい。
彼のバイトはコンビニである。こういう点もさすがという感じだ。お約束のように家庭教師・塾講師しかせずに卒業する馬鹿たれはもう少し彼を見習って欲しいくらいだ。
勉強が出来るのにフルメタルが好きな人、ヤンキーなのに夏目漱石を愛読しているとか、そういう人って偏見なんだけど奥が深そうな気がする。勝手な思いこみだけど(笑)
(11月23日 ぼけーとしながら)
編集後記: |
久々に書いてみました。
日記に載せるつもりで書いていたので全然手入れしてません。プラス丁寧語でもありません。
ちょっと偉そうなので直そうかとも思ったのですが、面倒なのでこのままにします。すいません。
結局私は何が言いたかったんだろ?ステレオタイプが嫌いということか。
ちなみに私は本が好きだし、NHKも好きだし、クラシックも好きです。
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