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現代の日本の諸問題に関する、回想録的散文
by AK



 1988(昭和63)年10月、AKこと私は初めて広島の地に降り立った。当時私は高校2年の厚顔の、もとい紅顔の美少年であり、高校の修学旅行(我が某都立高校ではホームルーム(以下、HR)合宿と呼んでいた)で、広島に行ったのであった。

 我が高校の良き慣例として、各人数人ずつのグループを作り、事前に入念に下調べをしていたのだが、これから向き合うことになる原爆について、あるいはその他のことに深く心に期す者もいれば、反対に全く興味のない者、露骨に反感を示す者もおり、その辺りのことは他校の修学旅行と何ら変わることはなかったであろう。

 東京から約5時間をかけて広島へ到着した我々一行は、まず平和祈念公園に行き、一同、慰霊碑に献花と黙祷をささげ、ついで原爆資料館へと足を運んだ。事前に下調べをし、また以前からの報道やら何やらである程度のことを[知っていたはず]の私は、そこで実際に目にしたものに圧倒され、衝撃を受け、また直視に絶えず気分が悪くなったのであった。そこで目にしたもの、それは一生忘れることのできない[自分の中の何か]になっている。
その後、中国新聞社本社の大会議場にて、原爆資料館の2代目館長氏の被爆体験談などの講演を聴き、その日の日程は終了した。

 二日目は各少人数のグループ毎、約30ほど設定されたコースの内から、好きなものを選択して参加することになっていた。平和祈念公園内の[被爆した青桐]や、祈念公園外にしか作ることのできなかった[朝鮮人被爆者慰霊碑]の見学、[米軍岩国基地]の見学など、様々あったのだが、その中で私らが選択したものは[江田島]コースであった。
午前中、旧海軍江田島兵学校跡(現、海上自衛隊江田島基地)を一通り見学し、現役自衛官から、自衛隊の活動についてのささやかな講釈を受けた。昼食後、今度は江田島町立公民館へ席を移し、爆心地から500m地点(!!)で被爆したにも関わらず、奇跡的にその地点で唯一生き残り、精力的に体験談を伝えていらっしゃる男性に、体験談と現時点(その当時だが)での被爆者を巡る様相や、自衛隊についてのお話を聞いたのであった。

 宿に帰り、夕食後は各クラス毎に大部屋に集合し、各自が見聞してきたこと・感じたことに対するディベートをする予定になっていた。私はHRの議長を務めていたため、私のクラスのディベートで、司会進行役を務めることになっていたのだが、正直言ってあまり気が進む役回りではなかった。自分が見聞してきたことの[重さ]、各自がそれぞれのコースで見聞してきたであろうことの[重さ]を受け止める自信がなかったのである。

 しかしディベートは始まった。クラス全員約50人が一人一人意見を言っていくことにした。初めは非常にふざけていた不真面目な者も、他者の話を聞くにつれ、そして自分たちが見てきたものを思い出すにつれ真剣さを増し、積極的にディベートに参加していくようになっていった。祈念公園外にしか[朝鮮人被爆者慰霊碑]が建てられなかった事実を熱弁を振るって皆に語り、厳然として残る[差別]をに対する注意を喚起した者さえも、その中にはいた。こうしてみんなは自分たちの力で歩き出し、私の心配は杞憂に終わったのである。

 いつしか話題は、岩国の米軍基地と自衛隊に移り、憲法第9条や日米安保まで含めた白熱した議論へと展開していった。岩国基地の存在に憤慨する者、安保容認・非容認、自衛隊の違憲・合憲など侃々諤々・議論百出し、大勢は自衛隊を違憲としその存在意義を問う方向へ傾いていった。そこである女の子が涙ながらに発した言葉が、今でも私の耳に残っている。
「私の父は自衛官であり、父も私もその仕事に誇りを持っています。何かあれば真っ先に立ち向かうのが自衛隊であり、災害救助なども重要な仕事なのです。」
私が今でも住む、東京の北西の区は[陸上自衛隊の駐屯地]があり、自衛官が区内の官舎に住んでいる。その自衛官の子弟も多数、我が高校の同級生にいたのである。彼らは大勢が大きく自衛隊違憲論・不必要論に傾くのに耐えきれず、声を挙げたのであった。

 ここで私を含めた大多数は大きく狼狽した。よく考えれば、自衛官の子弟がいることは分かり切ったことなのだが、その時まで全く考えておらず、また当然、彼らの気持ちを考えることはなかったのだ。だが、現実問題として自衛官の家族が身近におり、彼らは父を、そしてその仕事を誇りに思っている。自衛官は国を守り、災害救助などにも大きく貢献する存在なのだと。
我々は沈黙し、改めて考え直すほかにはなかった。確かに現在の憲法に照らし合わせれば自衛隊の存在は[違憲]である。しかし、自国を防衛する力を持たぬ国家は存在しない。周辺国家の[懸念]も考えなければならない。アメリカのプレゼンスは? では、自衛隊はすぐなくせばよいか? しかしその責務に真実、誇りを持つ自衛官がおり、その家族がいる。生活がある。その後の生活・職は誰がどのようにするのか?

 司会進行を務めていた私にも、どう収集すべきか迷っていたところ、ディベートに宛てられていた時間が切れ、あっけない幕切れとなった。このようにディベートは尻切れトンボになってしまった。しかし皆、自分たちの意見を思いっきり言ったことには間違いはなかった。たとえ[結論]が出なかったとしても、帰京後の司会進行(HR議長)会議における報告は、胸を張ってできると思ったし、事実そうであった。

 一方で、10年たった今でも、あの場で提起された[問題]に対する明確な[結論]を、私は未だに導き出せないでいる。沖縄の[米軍基地問題]や、今回の[北朝鮮のミサイル試射]報道などを見るにつけ、余計に混乱する。対岸で「基地をなくせ!!」とか、「自衛隊はいらん!!」と、シュプレヒコールをあげるのは簡単である。しかし現実に直面している人々の[実状]や[気持ち]を、どれだけ考慮に入れているだろうか? 我々に、その人達の[痛み]や[苦労]を分かち合う勇気があるだろうか?

私は未だに[結論]を導き出せないでいる。

追記この話は、当時の言文に必ずしも一致しないこと、修飾語に若干の誇張があること以外、すべて本当のことである。
(1998年9月2日   AK)













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