642年 | 百済の義慈王、新羅に侵入。新羅、金春秋(後の武烈王)を高句麗に派遣し援助を求めるも抑留され、からくも脱出。
高句麗宰相・泉蓋蘇文、国王大臣以下百余人を惨殺し、権力を掌握。百済と結んで新羅に攻撃開始。 |
645年5月 | 冊封体制の宗主として、唐の太宗、重臣の諫めを振り切り高句麗征討開始。 |
646年6月 | 中大兄皇子、高句麗・百済・新羅の朝貢の儀式と偽り、蘇我入鹿を板葺宮に呼び出し、惨殺。 |
646年7月 | 上記三国の朝貢の儀式を行い、百済に対し「任那の調」を納めることを要求するが、失敗か。 |
647年7月 | 国博士・高向玄理を新羅に派遣、「質」を差し出させることを条件に「任那の調」を廃止。新羅、金春秋を質として倭に派遣。 |
648年春 | 金春秋、新羅に帰国。唐に赴く。 |
649年 | 金春秋、唐より帰国。新羅の服制を唐の服制に改め、唐の年号を採用。唐の属国化。 |
653年 | 倭、吉士長丹・道昭ら遣唐使[第二回]として派遣。 |
654年 | 倭、高向玄理を遣唐使[第三回]として派遣。 |
655年 | 高句麗・百済が連合して新羅北部に進入。新羅、唐に救援を要請し、唐、応えて高句麗に出兵するも頑強な抵抗に合う。 |
659年 | 新羅、百済の征討を唐に要請。高句麗を孤立させるに有利と判断した唐、百済征討に乗り出す。
倭、坂合部石布を遣唐使[第四回]として派遣。 |
660年3月 | 唐の高宗、水陸13万の大軍をもって百済を攻撃、新羅の武烈王、将軍、金[广臾(ゆ)]信に5万の兵を与え百済に進攻さす。これにより百済の義慈王降服し、百済滅亡。
唐が主力を高句麗に転じさせた間、百済の遺臣、倭に使者を派遣し、援軍の派遣と人質として倭にいた百済王族・餘豊璋の送還を要請、倭、詔して救援の決意を使者に伝える。 |
661年1月 | 斉明天皇、難波を出発し筑紫へ向かう。 |
8月 | 救援軍編成、餘豊璋を百済に送還。 |
662年 | 餘豊璋、百済王として即位。百済復興軍、勢いづく。 |
663年8月 | 白村江の戦。倭・百済軍、唐・新羅連合軍に敗退。豊璋、高句麗へ亡命。
唐、新羅に鶏林都護府を置き、新羅王を鶏林州大都督に任じ、新羅の属領化を図る。 |
664年 | 唐、捕虜とした百済太子を熊津都督として百済故地に帰し、鎮将・劉仁願の立ち会いのもと、新羅王弟と和親を誓わせる。劉仁願、郭務[淙(AK注:正しくは立心扁だが文字がないために代用)]を倭に派遣、倭の朝廷、「天子の使人」でないと言う理由で追い返す。 |
665年 | 唐、新羅の文武王に百済旧太子・隆との和親を勧め、文武王、熊津に赴き和親を誓い合う。唐、正式に劉高徳・郭務[淙]を倭に派遣、倭、守大石を遣唐使[第五回]として派遣。 |
666年末 | 唐、高句麗北部に侵攻。 |
667年7月 | 唐、新羅に高句麗へ出兵を命じ、新羅、平壌へ向って進撃。 |
11月 | 唐の百済鎮将・劉仁願、遣唐使・守大石の送使を兼ねて筑紫に使者を派遣。 |
668年 | 中大兄皇子即位。高句麗、倭に使者を派遣するも倭は動かず。唐・新羅連合軍、高句麗王都・平壌を陥落させ、高句麗滅亡。唐、平壌に安東都護府を置く。新羅、倭に金東厳を遣使、天智天皇、新羅王に絹50匹・綿500斤・韋(なめしがわ)100枚を回賜。 |
669年 | 倭、河内鯨を高句麗平定の祝賀使兼、遣唐使[第六回]として派遣。 |
670年 | 高句麗遺臣・鉗牟岑、故国復興のために唐に反乱、新羅これに2万の兵を送り援助し、唐と敵対関係に入る。新羅、旧百済領へ侵攻開始。 |
671年1月 | 唐使・李守真、倭に渡来、7月帰国。 |
7月 | 新羅、百済旧都・泗-w城を陥落させ、所夫里州を置く。 |
9月 | 天智天皇、病床につき、大海人皇子出家し吉野へ。 |
10月 | 新羅、倭に金万物を遣使、朝廷、新羅王に絹50匹・あしぎぬ50匹・綿1000斤・韋100枚を回賜。 |
11月 | 唐の郭務[淙]ら600人と、送使・沙宅孫登ら1400人、計2000人が47隻の大型船で旧百済領から倭に進発。先触れとして白村江での捕虜、筑紫君薩野馬ら四人を対馬に派遣し、来朝の意を伝えさせる。 |
12月 | 天智天皇崩ず。 |
672年3月 | 朝廷、筑紫に使者を派遣し、郭務[淙]らに天智天皇の喪を伝える。郭務[淙]、二度目の国書奉呈。 |
5月 | 朝廷、郭務[淙]らに甲冑・弓矢・あしぎぬ1673匹・布2852端・綿666斤を与える。郭ら帰国。 |
6月 | 大海人皇子、吉野を脱出し挙兵、不破の関を占拠し壬申の乱勃発。 |
7月 | 大海人皇子軍、近江宮を占拠し、大友皇子自殺。壬申の乱終結。 |
673年2月 | 大海人皇子、飛鳥浄御原宮にて即位。
新羅、倭に賀騰極使(大海人の即位を賀す使)と弔送使(天智天皇の喪を弔う使)を遣使。天武天皇、賀騰極使のみ入京させ、弔送使は帰らす。 |
675年 | 新羅、旧高句麗領に侵攻開始。 |
676年 | 新羅、平壌を陥落させ半島統一に成功。唐、安東都護府を遼東に後退させ、朝鮮半島を放棄。 |
686年 | 唐、旧高句麗王族の一人を遼東都督朝鮮群王に任じ、遼東半島に封ず。 |
696年 | 契丹人・李尽忠旧高句麗領内で反乱を起こす。 |
698年頃 | 大祚栄、旧高句麗領内に辰(後の渤海)を建国。 |