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アリステイデスと正義
by fano



今回は正義の人といわれた、アリステイデスです。アリステイデスはアテネの政治家でした。

当時のアテネの政治家のほとんどが裕福な家の生まれであり、おそらくアリステイデスも裕福な家の出身のはずですが、彼は貧乏であったという記録もあります。これは、かれが、アテネの名門の血筋ではないということと関係があるのかもしれません。当時の政治の世界ではアルクメオン家と、フィライダイ家という二つの名門が代々強い力を持っていましたが、アリステイデスはどちらの一族出身でもありませんでした。

アリステイデスは政治家として非常に長い間政治に携わっていましたし、その間、手腕を発揮していましたし、政治の世界で一番のトップのポストであるアルコンにも就任しています。そして、ペルシア戦争においては、マラトンの戦い、サラミスの海戦、プラタイアの戦いには指揮官となっています。しかし、戦いでは華々しい活躍をしているわけでもないし、政治家としても、改革に携わってはいますが、改革を率いる第一人者ではありませんでした。したがって、政治家としてはあくまでも2番の地位にいたのです。

アリステイデスが有名なのは、政治家としての華々しい活躍でもなければ、軍人としての才覚でもありませんでした。彼は後世の人によって、「正義の人」というもう一つの名前が与えられました。また、「アテネの政治家で唯一賄賂に屈しない人」ともよばれました。
彼は多くの人に非常に信頼されていたようで、何かとトラブルのときは調停役となっていますし、デロス同盟が結成されたとき、同盟諸都市の負担金の査定などもかれがやり、大変公平であったと評されています。

彼にまつわる有名な説話をいくつか

陶片追放(僭主<独裁者>になりそうな人の名前を書いて投票し、6000人以上の投票があった最も多く名前を書かれた人物を10年間追放する制度)の投票をしているとき、文字を知らない人が、ただの人だと思って、アリステイデスに陶片をわたして「アリステイデスと書いてくれ。」とたのみました。 アリステイデスは驚いて「アリステイデスはあなたに何か悪いことをしたのか?」と聞くと、その人は「いいや、私はあの人は知りません。けれど、どこへ行っても『正しい人』といわれるの聞くと嫌になるのです。」といいました。アリステイデスは何も言わず、それに自分の名前を書いてその人に渡したのでした。

この陶片追放の結果、アリステイデスは追放されたのですが、三年後、サラミスの海戦が始まったため、特別に許されて、サラミスの海戦に参加することになるのです。

アイスキュロスの『テーバイを攻める七将』という劇が上演されていたとき、「あの人は見掛けでなく、真に正しい人であることを欲し、心の中の深い畝から収穫を得て、そこから尊い思慮が芽生えるようにする。」というセリフが述べられると、観客がみなアリステイデスの方を見て、この特性はもっともこの人にふさわしいと感じた。」という話です。

これらのはなしはどれだけ本当かというと、あくまで説話に過ぎないでしょう。しかし、アリステイデスは「正義の人」という人々の理想の人物としてもてはやされたのでした。

プルタルコスは「英雄伝」のアリスティデスの章で
「アリステイデスは『正しい人』という、もっとも王にふさわしく神にふさわしい副名を得たが、王や独裁者が1人としてこれを望まず、『城を攻め落とした人』とか『雷の人』とか『征服者』とか、中には、『鷲』とか『鷹』とか呼ばれて喜んでいたのは、徳性によって得た名声よりも権力や威力によって得た名声を好むからである。」

しかし、アリステイデスが単に道徳家であったかというとそうでもなく、ペルシア戦争においてはプシュッタレイア島ではペルシア兵を殺戮しているし、スパルタに対する工作やプラタイアの戦い前の寡頭派の陰謀を制圧したり、なかなか現実的で有能な政治家であったようです。(ただし、軍人として有能かどうかはべつにして)

テオフラテス(アリストテレスの弟子)の言葉
アリステイデスは個人的なことではまさしく正義であったが、国の政策としては不正も行った、たとえば、デロス同盟の資金を協定に反してデロスからアテナイに移すようにサモス人が提案したとき、その審議の席で彼は、「それは正しいことではないが、(アテナイには)有利なことだ」と語った。

アリステイデスについてはその史料が多いのに、そのほとんどが歴史家によって「信用できない」といわれているために、どういう人物であったのかということがまとまっていないようです。彼が本当に正義の人であったかどうかより、彼が理想としてたたえられていたということでしょう。そしてこれは特に、紀元前5世紀後半から紀元前4世紀のころがもっとももてはやされた時期でした。これは、アテネの政治が混乱して、古きよきアテネの時代が懐かしまれたときでした。正義の人アリステイデスは混乱した政治状況におかれていたアテネ人の懐古だったのかもしれません。

ちなみにここに、アリステイデスの選挙事務所があります。
http://www.erols.com/mirin/Pages/Themi/ari.htm
ギャグのページですが、情報は正確。なかなかいいページです。

ペルシア戦争・・・ギリシアのポリスとペルシアの戦争。最終的にはギリシアが勝利した。
マラトンの戦い・・ギリシアとペルシアが対決した初めての戦い。ギリシアが勝利する。マラソンの語源。
サラミスの海戦・・アテネのそばのサラミス島で行われた戦い。ギリシアが勝利する。
プラタイアの戦い・ギリシアとペルシアの最終決戦。ギリシアが勝利する。アリステイデスはこの時アテネ軍の将軍だった。
デロス同盟・・・・ペルシア戦争の勝利の後、また再びペルシアがやってくる可能性に備えて、ポリス同士が作った同盟。アテネが盟主となり、エーゲ海のデロス島に本部が置かれたので、この名がある。のちに、アテネがこの同盟を利用し、間接的に同盟諸都市を支配した。

参考文献というかねた元
プルタルコス 『ブルターク英雄伝』 河野与一訳 岩波文庫
仲手川良雄 『古代ギリシアにおける自由と正義』 創文社












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