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生の歴史に触れることの重要性
文/井村


何事も文字を通してだけの学問はよく無いものです。独善に陥りやすくなります。しかしこと歴史にかんしては、他の分野よりさらに危険です。なぜなら、史実を伝えるはずの書物は、それが書かれた瞬間からもう過去のものになるからです。
歴史はちょっとしたきっかけがあるだけで、その姿を変えていきます。たとえば、紀元前一世紀の建物が予想より大きかったというだけで、弥生時代はいつからいつまでかというの定義が大きくゆれてしまうということがありました。恐らく弥生時代の時期はそのうち訂正されるだろうということです(私の恩師の話による)。
また歴史は、史料が無ければどういう解釈も可能ですし、史料があったとしても、それをどう捉えるかによって見方が変わる。諸説乱れ飛ぶという状況は、歴史学特有のものでしょう。

多数派の説が今のところの定説になるのでしょうが、それでさえ、たった一つの史料の発見によって覆されることもありうるのです。だからこそ、文字を通すだけの歴史の見方は改めなければなりません。

歴史を学ぶに当たり、次の点に注意すれば良いと思います。

1.新しい史料の発見に注目する。
歴史の定説に一石が投じられるのは、たいがい新しい史料が発見されたときでしょう。ですから、メディア等を通してそういった情報を常に要求しようという姿勢を持てばいいと思います。この発見が歴史的にどういう意味をもつのか、この発見が従来の歴史にどういう波紋を投げかけるのかを考えることで、歴史に対する理解もいっそう深まることでしょう。また、新しい史料を見ることで今までは守備範囲外だった分野に興味が持てるかもしれません。

2.身近な史料に接しようとする。
おそらく、文字を通すだけの歴史では、主観的固定観念が個々人の頭のなかにできてしまうのではないでしょうか。僕の場合がそうでした。たとえば、戦国時代のことについて。僕は福井出身ですが、朝倉氏は戦国期の弱小大名の一つとしか思っていなかった。少なくとも戦国期に優れた技術や財力を持っていたのは、数えるくらいの大名しかいなかっただろうと思ってました。しかし、朝倉氏の居館の遺跡を見た時、そのイメージは一変しました。予想よりもはるかに立派だったのです。あらゆる戦国大名に(たとえ小さな大名でも)かなりの力があったことを認識しました。これによって僕の戦国時代観は変わってしまいました。さらに、細かいことをあげれば、キリがありません。縄文時代の技術、芸術性の意外な高さを教えてくれたのも、土器をはじめとするそのじだいの史料ですし、太平洋戦争時の状況を知ったのも実家の近くにある防空壕あとという身近な史料によってでした。

恐らく、固定観念を打破する効用は、文章よりも実物の方が優れていると思います。文章は時に嘘をつきますが、歴史の証拠たる史料はその存在事体は嘘ではないのです。ですから、人に与えるインパクトがぜんぜん違います。文章としての歴史は、史料と言う裏づけをへてはじめて力を発揮するのでは無いでしょうか。

史料に接すると言っても、何も難しいことを考える必要は無いでしょう。身近にあるもので良いんです。最悪資料集の写真でもいい。ちっぽけな史料から、自分の中の歴史を見直すことができればよいのです。独り善がりな見方に疑問を投げかけることができたなら、その史料がどんなにつまらないものでも、価値があると言えるでしょう。まあ一度は歴史資料館や博物館に行くことを薦めますけど。最近歴史を学ぶ者にとって身近に豊富な史料があるという事はものすごく幸せで贅沢なことだと思うようになりました。歴史の生き証人に多く出会えるのだから。これほどすごいことは無い でしょう。

歴史というものは、昔の人間の営みを学ぶことなのですから、その証拠たる史料ぬきにして、歴史を理解するのは不可能ですし、そのような学問はもはや歴史とはいえないでしょう。

注:ここで言う「史料」とは、歴史的建築、遺物、遺跡などのことをいうのであって、書物は必ずしも含まれていないことを記しておきます。書物は時の情勢によっていくらでも事実をねじまげてしまいますから、「事実を知る」と言う面ではあまりふさわしくないところもあります。ただ、どういうわけでねじまげられたのかと考えるとき、それは大切な歴史の情報になりますし、主に政治的面以外(たとえば風俗など)ではとても参考になります。
ちなみに、書物至上主義による歴史考証がいかにまちがってるかは、井沢元彦氏の「逆説の日本史」に詳しいので、ここではふれません。


蛇足ですが、日本の歴史史料の扱いの現状は、目に余るものがあります。特に遺跡などは、工事などの途中で発見されたとしても、そのまま建造物の下敷になってしまうことがよくあります。もっとひどいと、発見した遺跡を届け出ることなく破壊することもあるようです。天皇陵の発掘を許可しない宮内庁の態度もそうですが、日本は歴史を研究する前に歴史史料を真剣に考える姿勢を育てる必要性がありそうです。











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