ヘロドトスのテキストを読む場合、そこに書いてある内容より、書いてない部分に注意を払わなくてはならない。ヘロドトスは火の神殿、ハオマ、牡牛信仰、宇宙秩序の二元論、倫理領域の清浄、ゾロアスターについて全く述べられていない。
また、3つの碑文には以下のように書かれている。
1、「アフラマズダーと全ての神々の佑助を得て」ダレイオスは帝国を建設し、そしていくつもの反乱を鎮圧した。
2、ダレイオスは、アーヤダナ(祀堂)を再建した。というのも、スメルディス(カンピュセス王の弟パルディヤ)の名をかたりマゴスのガウマータが王位簒奪を企てた際に、これを破壊してしまったからである。
3、アルタクセス二世は、アフラマズダーと並んで、アナヒーターとミスラを観請している。
4、アケメネスのヴィシュタスパの息子、全ての国の王にして諸王の王ダレイオスはかたった。私はSogdianaからKusch、IndienからSardesまでの王国を支配する。これらは偉大な神々の神アフラマズダーが私に与えたものである。アフラマズダーが私を可愛がり、私の家を豊かにした。
これらの中にアフラマズダーやミスラ、アナヒーターの名は出てくるが、それらの対極をなすアンラ・マンユ(アフリマン)の名はない。やはり、碑文からもアケメネス朝期のペルシャ人の宗教がゾロアスター教だと断定するのは困難である。
では、ヘロドトスは別の宗教を記述していたのか?
ヘロドトスはマゴスが鳥獣に自らの遺体を食べさせると記述しているが、これは今日、ゾロアスター教徒が一般的に行っているが、当時はメディア人の風習で、ペルシャ人の習慣ではなかった。ペルシャの王たちの内、ある王は埋葬されており、ある王は厚い石に囲まれた暮廟に葬られ、またある王は堅い岩盤をくり抜いた王暮に安置されている。
また、カンピュセスは人を生き埋めにしたり、アマシスの遺骸を焼き捨てたりしている。カンピュセスはその事でペルシャ人から火を汚したことで非難されている。これらは、明らかにゾロアスター教の教えに反する行為である(生き埋めや遺骸を焼く行為)。
しかし、ゾロアスターの教えが浸透しつつあった証明に、ブルターク英雄伝に、エウプラテスと言う名のペルシャ人奴隷の話がある。「ピロニュモス様、私を火葬にしないでください。私を火に触れさせて、火を汚さないでください。ご主人様、私はペルシャ生まれのペルシャ人です。私どもにとって、火を汚すことは死よりも重い罪なのです。どうか私を土の中に葬って下さい。でも、私の亡骸に清めの水をふりかけてはなりません。というのも、私は河川もまた崇めているからです。」と、ある。
これらから、アケメネス朝期におけるゾロアスター教は正しく社会への浸透期であり、ゾロアスター教自体がそれ以外の原始宗教に取って代わっていた。アケメネス朝期の終わりにはほぼ浸透しつくしたのであろう。と考えるのはおそらく間違いではないだろう。
ただし、アケメネス朝期のペルシャ人の宗教については現在も研究されている途中で、結論はまだまだ出ないであろう。
主な考文献
ゾロアスター教論考(エミール・バンヴェニスト、ゲラルド・ニョリ前田耕作訳)
IRAN
(ゲハルド・シュバイツッアー)
ゾロアスター教(岡田明憲)
ゾロアスター教の悪魔払い(岡田明憲)
ヘロドトス
ストラボン
その他
写真(ダレイオスの黄金の碑文)
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