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クラシックと歴史の面白い関係


 とある調査によると、日本人のクラシック音楽人口は約5パーセントだそうである。歴史と同じくらい、クラシック音楽を偏愛する私としては、もう少し聴いてみてくれ、と言いたくなるのであるが、ここは音楽を推奨する場ではないので、それは取り敢えず措いておくことにする。
でも、歴史好きの方は、もう少し関心を持っておくと、歴史の楽しみが増すこと必定だろうと思う。歴史とクラシック、この一見何も共通点がない二つには、実は密接な関係があるからである。ここでは二つほど例を挙げたい。

例えば「ジャン、ジャン」の二つの重厚な和音で開始される、有名なベートーヴェンの交響曲第三番『英雄(エロイカ)』にまつわる逸話を紹介する。
この作品は、ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き上げた直後の1803〜4年にかけて作曲されたものである。

この1803〜4年にかけてというのは、ヨーロッパでは、ナポレオンが時代を席巻しており、1802年8月に終身の第一統領となったのを皮切とし、まさにナポレオン時代全盛の頃であった。そんな最中に、この『エロイカ』は作曲されていたわけだ。ベートーヴェンは共和主義に共鳴しており、彼はナポレオンにこの『エロイカ』を献呈するつもりで作曲していた。
ところが1804年の3月20日、王党派の首魁であるダンギアン公の処刑、翌21日の民法典(1807年に「ナポレオン法典」と改名)が発布されるに至り、雲行きは少しばかり変わってきた。そして同年5月18日「共和国第十二年花月二十八日の元老院令」によって、ナポレオンがフランス人民の皇帝として戴冠されるに至って、事態は一変する。

この件を知ったベートーヴェンは「所詮、彼も権力に縋る程度の器の人間でしかなかったか」と激怒し愛想を尽かして、1806年に楽譜を出版する時に、当初の予定であったナポレオンへの献辞をなくし、「ある偉大な男の思い出に」と変更したといわれている。
話が横道に逸れるが、この偉大な男というのはベートーヴェン自身の事を指している、という邪推的な(?)研究もなされている。

そして次は、ワーグナーとナチスとの関係である。
とはいえ、それを掘り下げていくと、それだけで一つの研究論文が作れる程のテーマなので、ここでは初歩的な事だけを採り上げて、詳細は改めて文を作ることにするので、ご了承をお願いしたい。

ワーグナーとナチス、この二つは、まさに密接に絡み合っている。極論になるが、ナチスを語るうえではワーグナーとの関係を無しにしては語れないといっても良いかもしれない。
何故なら、ヒトラーが唱えるゲルマン民族優生思想というのはワーグナーが自らの歌劇や楽劇の中で再三再四に渡って強調しているのである。
周知のように、ヒトラーはワーグナーに心酔していた。詳しくは、後日改めて書くが、党集会では必ずワーグナーの楽劇の序曲を演奏していたし、何よりヒトラーが世界制覇を思い夢見たのは、15歳の時にワーグナーの歌劇を観てからだと、かれ自身が、後日に述懐しているほどである。
それ程の影響を受けたのだ。これは私の推察だが、ヒトラーの思想の多くはワーグナーに立脚している、というのは言い過ぎだろうか。

今回は、ワーグナーについてはここまで。
これは序曲ということで、本編はまた乞うご期待という事にしたい。

「音楽は全ての心霊中において、情欲を感化することもっとも大なるものである」とは先に出てきたナポレオンの言葉であるが、歴史と音楽とは、かくも密接にかかわっているという事がお分りいただけただろうと思う。
これを契機に、少しでもクラシック音楽に興味を抱いて頂ければ、私としては望外の喜びである。












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