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『歴史における動と静』
文/直弼


1.はしがき

 筆者の前作二本は専門外の方にも分かりやすいと評価して頂き、筆者としては望外の喜 びです。筆者が目標としているのは、専門外の方へ、歴史を考えることの意義を普及する こと、ならびに、歴史好きの裾野を広げたいということですので、そのような評価を何よ りも嬉しく思います。また、筆者自身、愛してやまない歴史というものへ、多少なりとも 恩返しできたかな、と思っています。まずは、読者の方へのお礼として、その事を申し上 げておきます。
 この論考において課題とするのは、歴史が動くということはどういうことなのか、とい うことです。私たちは普段この言葉を何気なく使いますけれども、では、その動くという ことはどういうことなのか、あるいはその主体とは、といった問題に容易に答えうる人は あまりいないでしょう。そういった、歴史というものが持つ根源的な問いに対して私なり の考えを綴っていきたいと思います。

2.歴史が動くということはどういうことか

 たとえば「その時歴史が動いた」というNHKの番組があります。この番組において歴史 が動くと位置付ける「その時」という表現は、例えば赤穂浪士の切腹ですとか、誰かの暗 殺など、何らかの有名な事件を取り扱って使っているようです。
 では、そういった事件の勃発が、すなわち「歴史を動かす」のでしょうか。筆者は違う と思います。もちろんそういった事件が何らかの端緒になるということはあるでしょうけ れども、それはあくまでも契機にすぎないのであって、その他にもさまざまな要因が複雑 に連関しあって、初めて歴史は動かされるものだと考えます。何か一つの事件だけを採り 上げて語れるほど、歴史は単純明快なものではないのです。
 そもそも叙述できる歴史上の出来事など、実際に起きた出来事のほんの一部分にすぎま せん。というのも、そこには、歴史を書くときの根本となる史料の問題があるからです。 (もちろん、その制約というものを承知の上で歴史学という学問は成立しているのですが)   例えば、皆さんが日記をつけていたとします。筆者は三日坊主でして、日記が長く続い た試しがないので、よく分かりませんが、日記に書くことはいろいろあるでしょう。どこ かに旅行した、好きな人とデートした、学校や会社で友達とこんな事を話した、などなど。 しかし、皆さんにとってごく日常的なこと、例えば朝起きて顔を洗った、学校に行った、 昼ごはんを食べた、夜テレビを見た、などということを、わざわざ日記に書く人はいるで しょうか。よほど書くことがないかぎり、そんなありふれた事を、わざわざ日記に書き残 すことはないはずです。
 歴史もそれと同じです。何かの出来事に関する史料が残っているということは、それが その当事者にとって、何か特別な意味を持っていたからこそ残っていたのです。というこ とは当然、特別な意味のないそれまでの過程については、史料は残ってないのが普通です。  これは日記という一個人の記録のみならず、公的な史料、例えば新聞などについても同 様のことがいえます。というよりかは、日記などの私的な史料より、その傾向が顕著だと いえるかもしれません。例えば、今、私の手元にある新聞の切り抜き帳から少し拾ってみ ると、今年1月16日付「読売新聞」朝刊の社会面には、「若い感性 芥川賞ゲット」と題 して大きく、第130回芥川賞の結果を報ずるとともに、若い美女二人の写真が掲載されて います。もしこれが、中年男性の作家が受賞したとしたら、こんなに大きくは取り上げら れなかったはずです。これは「最年少受賞」で、おまけにその受賞者が美人だった、とい うニュースバリューがあるから、これだけ大きく採り上げられているわけです。
 このように、事件や出来事の裏には、史料には現われない出来事が多数存在していると 考えるべきです。その経緯を抜きに、一つの出来事のみを捉え、それがために歴史が動い たと判断するのは、危険だといわざるをえません。

3.歴史をうごかす主体とは

 「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思うままにではない。自分で選んだ環境の   もとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつ   くるのである」

 (カール・マルクス著、伊藤新一・北条元一訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』
                              岩波文庫、昭和二十九年)     
  
 さて。いきなりの引用で幕を開けた本節ですが、ここでは、歴史をつくる主体について 考えてみたいと思います。
 この点について、先に引用したマルクスとフリードリヒ・エンゲルスは著書の中でこのよ うに述べています。

 「従来のどの歴史的段階にも常に現前した生産諸力によって条件づけられつつ、かつま た同時に生産諸力を条件づける交通形態、それが市民社会である。・・・・ここにおいて すでに、この市民社会こそが全歴史の真の汽罐室であり舞台であるということ、そし て、大げさな政治劇に目を奪われて現実的諸関係を等閑視した従来の歴史観が、いか に間違っている背理であるかということが、明らかである」
                
    (廣松渉編訳・小林昌人補訳『新編輯版ドイツ・イデオロギー』岩波文庫、2002)

 彼らは同じ著書の中で、この市民社会を「現実的な土台」とも呼んでいます。すなわち、 どの時代にも存在したこの「土台」(生産様式)に目を向けず、その土台の上に乗っているに 過ぎない「政治劇」にのみ注目した歴史は間違いであり、歴史の原動力はこの土台にこそあ る、というのが彼らの主張です。ここから、彼らのいわゆる「世界史の発展法則」、エンゲ ルスの表現を借りるならば、

 「ダーウィンの学説が自然科学の進歩の基礎となったと同様に、歴史科学の基礎となる   使命をもつもの」

    (大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』1888年英語版への序文。岩波文庫、1951)
          
という歴史の法則も構想されました。この法則にのっとって歴史を描くのがマルクス主義 歴史学です。この考えがどんなものかについての言及は長くなるので、ここでは解説の労 をとりませんが、ともかく、彼らは「土台」こそを重要視していたわけです。
 筆者はここで、マルクス主義歴史学の復権を訴えかけるつもりはありませんが、筆者と しては、この考えには反対ではありません。
 私たちは歴史というと、例えば源頼朝だとか坂本龍馬だとか、いわゆる英雄をその主役 に考えてしまいますけれども、彼らの存在だけで歴史が動くわけはないのです。その陰で 名もなく生きて名もなく死んだ大勢の人々がいたからこそ、歴史も動いていったのです。 その存在を抜きにしては、歴史が動いてはこなかったのではないでしょうか。
 大正時代、日本史研究の先駆者であった三浦周行も、著書の中でこう言っています。

 「従来の史家は余りに政治や軍事に重きを置きすぎていた傾きがある。大政治家や大軍 人の一言一行には多くの頁を費やし、政変だとか戦争だとかいうと、詳しい記事を遺 して居る。それを見ると、社会の進歩や退歩も、彼らの一顰一笑で(表情の移り変わり で−引用者注)決したかのように思われるのであるが、歴史の真相は果たしてそういう ものであったろうか。なるほど、未開の社会では一世の指導者たる彼らの実力の偉大 であったことを認めずばなるまい。しかしながらよく見ると、社会の裏面や下層に流 れて居る暗流が、段々みなぎってくるにつれて、これまで表面勢力のあった上層のも のも、いつしかそれに押し流されて漸次下層へと入れ替わる。それがまた久しくなっ てくると、またまた、前と同じようなことを繰り返して行くというのが、ほとんど一 定の常軌になって居るようである。国史の上に一時期を画するほどの大なる事変の裏 面には必ず大なる社会問題が潜んで居ると申して差支えはない」

                      (『国史上の社会問題』岩波文庫、1990) 

つまり、歴史の移り変わりは、偉大なる英雄の行動のみで決するのではなく、その下にあ る社会の動きにこそ、その要因を求められるという指摘です。
 そもそも、その英雄という呼ばれる人も、どんな人なのでしょうか。引用が続いて恐縮 ではありますが、この定義については、ロシアの歴史家、プレハーノフの意見を聞いてみ たいと思います。

 「偉大な人間が偉大なのは、彼の個人的特質が偉大な歴史上の事件にたいして個性的な 様相をあたえるからではなくて、彼がその時代の大きな社会的要求−一般的原因や特 殊な原因の影響をうけておこった要求−に、彼をもっともよく役立たしめることがで きる特質をもっているからである。カーライルは、彼の有名な英雄についての書物の なかで、偉大な人間を創始者とよんでいる。これはじつにうまいよび方である。偉大 な人間が創始者であるのは、他の人びとよりもよく先をみとおし、また他の人びとよ りも強くものごとをのぞむからにほかならない」

              (木原正雄訳『歴史における個人の役割』岩波文庫、1958)

つまり、偉大な英雄というものは単に他の人々よりも先を見通す目があったり、その欲求 を強く望んでいただけであって、その特質が問題となるものではない、と言うことです。  先を見通すということがどれだけ難しいかは、外国人で日本史研究家のE・H・ノーマン が、こう述べています。

 「歴史上の大きな悲劇は、指導者よりも民衆が、それもしばしば人格の高潔な人びとが、近い時代または同時代の変化の性格と方向を予測しえなかったところから起こってくることがある」 

     (「クリオの苑に立って」大窪愿二編訳『クリオの顔』所収、岩波文庫、1986)
 確かに、これだけ難しい先を見通す能力を持つ人ならば、一人で歴史を動かしたといえ るかも知れません。ですが、その時代の流れを形作るのは誰かといえば、多くの名もない 民衆です。その流れを読み、行動を起こした一握り、いや、一つまみの人間だけが、歴史 に名を留めているにすぎないのです。
 したがって、歴史を動かす主体は何かという冒頭の問いに立ち返れば、それは名もなき 多くの人々ではないのかな、と筆者は考えています。

4.おわりに

 歴史を動かす主体、という問題は、マルクス主義においても中心課題であったように、 大変難しい問題です。筆者一人の頭だけでその問題を追究していくのは、とてもとても出 来ることではなかったので、多くの先学の業績に頼りました。従って引用が多くなって、 読みにくい部分も多かったのではないかな、と危惧しています。
 ですが、筆者なりの考えを明らかにするためには、必要な材料でしたので、その意図を お含みくだされば、大変ありがたく思います。
 先にも書いたように、歴史を動かすものは、わたしたち一般の民衆自身ではないかなと 思います。この文章を書いている冬、日本もイラク派兵などで歴史の大きな結節点を迎え ているように感じます。そんな時期であるからこそ、この、歴史を動かす主体は他の誰で もなく私たち自身であるということについて考えていただければ、筆者としても、とても 嬉しく思います。













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