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◆曹操・あるいはこんな赤壁も◆
by VICTORY



今をさかのぼること1800年ほど前、中国大陸に魏という国があった。正確には、後にそう呼ばれることになる大陸屈指の勢力。その頂点に立つのは曹操。漢の天子を擁し、友であり宿敵でもあった袁紹を破り、河北を手中におさめつつあったある日のこと。

「なあ、郭嘉」
曹操は傍らの男に呼びかける。なんでしょう、と応えるその男は名を郭嘉、字を奉公といった。曹操が誇る参謀たちの一人である。それぞれ個性派揃いだが、曹操と最もウマがあっていたのは彼であったようだ。
「最近私は思うのだがな、治世の能臣、乱世の姦雄と評されて久しいが、良くも悪くも私はこの国の政(まつりごと)の中心に身をおいてきたよなあ」
何を言い出すんだ、と郭嘉は心の中でつぶやいた。それに「良くも悪くも」などと妙にもったいぶるのもこの人らしくもない。とりあえず、口に出しては
「そうでしょうなあ」
と。曹操は続けた。
「そうすると、後世の歴史家は私の行状を史書に記すことになる」
??何だ、そんな事を気にしているのか?
「そして、さらにそれを読んだ者たちが私の行いの是非を論ずることとなろう」
郭嘉は何やら違和感を感じ始めた。曹操とはこのような人物であったか?
「だが、我々の行いを論ずるに足るものがどれほど残ろうか?結果だけを見て、ああでもない、こうでもないと論じようと、その真の目的は、行いの実状は、所詮想像に過ぎぬ。その場に居合わせたものが敢えて後世のために隅々まで記録を残すでもなかろう。そこでだ」
曹操の目が怪しく(妖しく、ではなく)光ったのを郭嘉は見逃さなかった。
「私のような歴史を創る立場にある者が、何かやらかすとしよう。突拍子もない、理解に苦しむことをだ。私以外の者には、その真意はてんで分からぬ。後世の者には尚更だ」
郭嘉は先程とは違う漠然とした不安を感じ始めた。この人は、何かをしようとしている。この不安は、曹操の配下であることの喜びとも言えるかもしれない。自分にも想像のつかない何かを始めようとする、歴史を創る場所に居合わせる、何が起こるかわからない不安と期待。
だが、今回は違った。
「それでだな、もう何とも不可解なことを、無意味なことをやってみるのだよ。私はそれについて後世に何も語らない。ただ結果だけが残る。歴史家どもはな、考えるだろうよ。大マジメにな。目的は?意味は?何故この時期に?結果、何を得たのか?フフ、そんなのムダなことだ。必死になって考えようと、「ただなんとなく」が理由だなんて、絶対にわかるはずがないのだよ。それを眺めて笑い飛ばしてやる」
違う、違う、違う!この人がやろうとしているのは歴史の私物化だ。歴史を動かすことのできる者にとっての最大の娯楽だ。それは無責任なこと極まりない。
「やめておきなされ。結果からしか判断されないのであれば、後の世で不本意な評価も受けましょう。いや、殿はそのような事を気に病む方でもありませなんだでしょうが、では今の世に殿のその気まぐれで苦しむ者が出ることもお忘れなく」
この一言は効いた。なんだかんだ言っても曹操は一流の為政者である。何をなすべきか、なさざるべきかは心得ていた。後に少々逸脱することになるが、それはもう郭嘉が気に懸けることができなくなってからの事である。

赤壁。
後の世に曹操の汚点の一つ、残念ながら唯一の、ではない、いや、蜀漢正統論とやらを振りかざす輩どもにとってはありがたいことこの上ないことになる場所で。
曹操は彼らしくもなく後悔のどん底にあった。
やめとけばよかった。
結局、曹操は誘惑に耐えられなかった。それを止めてくれたはずの郭嘉はもういない。
曹操は南下の軍を起こすと、荊州を瞬く間に、いや、多少の抵抗は受けたが席巻した。そこで一旦止めておくという選択肢もあったかもしれないが、劉備一党を放っておくのはシャクだった。奴等をかくまった孫権もまた。
つい、軍勢を出してしまった。遠征続きで兵は疲れていたのに、長江を舞台にしての戦いに不可欠の水軍は未だ万全ではなかったのに、江南の風土は北の兵には不慣れなものであったのに。
郭嘉の忠言がよほど身に染みていたのか、事がヤバくなる前に船を焼き払ってとっとと引き払おうと決断したのはさすが曹操だったが、その矢先、窮鼠は猫を噛んだ。とは言っても、別段こちらが圧倒的な軍を率いていたわけではない。どうにも動機が不明確な出師はやはりロクな結果をもたらさないものである。
しかも風の噂では、諸葛亮とかいう徐州虐殺の生き残りが八面六臂の大活躍をしたというではないか。
ウソこけ。
私は知ってるぞ、劉備の軍勢はこの戦いでロクな働きはしとらんのだ。どの道敵に華を持たせるのはシャクだが、戦ったのは江南の軍ばかりだ。それを奴等、勝ったのは我らのお陰だと得意げに吹聴しているそうではないか。
キーッ!ああ悔しい。歴史を創っていくのはあくまで私なんじゃ!
曹操の心中では大人げないこと極まりない論理が乱れ飛んでいたが、さすがに表には出さない。曹操はあくまでも颯爽と、超然としていなければならない。彼は結構こういうところに気を遣うタチなのだ。郭嘉が危惧していたのとは若干違う、もう少し単純で子供っぽいものであったが。
後世に対して弁解はしない。曹操の意地である。しかし、やられっぱなしもまたシャクだ。だから、一言。

「ああ、郭嘉が生きていれば」と。













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