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◆明智光秀・昨今は大人も
キレやすくなっております◆

by VICTORY



天正10年(1582)、甲州。
戦国の世に一大旋風を巻き起こした武田家に終焉の時が訪れていた。
今回の戦は、織田信長にとっては「甲信物見遊山・信玄の隠し湯と旨いもの巡りツアー」程度のものであった。実際の戦いは嫡子の信忠が、いや正確には彼の指揮下につけた家臣たちが片づけてくれた。信忠も総大将として経験を積ませてやらねばならない。

さて、信長に同行した者の中に、明智光秀がいた。彼は今回の遠征の成果に満足していた。甲信を抑えたことで織田家の勢力圏はさらに東進することになる。彼自身は近畿およびそれ以西を任されており、そちらの方面でも躍進してみせねばならないのだ。

確かに、信長に対しては今までに少なからず思うことはあった。
「キンカン頭」とののしられたり。
森蘭丸のために領地を召し上げられたり。
腹心の斎藤利三を稲葉一鉄に譲れと強要されたり。
自分が外交の窓口に立っていた四国の長宗我部との友好関係をオシャカにされたり。
丹波平定の際、人質に出した母親を無視して投降者を殺されてしまい、母親は報復で殺されるわ丹波の平定にさらに時間がかかるわという目に遭わされたり。
なんか本人には身に覚えのないことも混じっている気もするが、ネが真面目なタチの彼は前向きに考えることで自分を励ましていた。だから、この時もそれがふと言葉に出ただけのはずだった。

「上様、甲州平定おめでとうござりまする。これで我々の長年の苦労も報われたというものでございましょう」
それを聞いた瞬間、信長の顔色がかわった。どうも、この辺が光秀はうまくいかないのである。他の人なら踏むことのないしっぽを踏みつけ、触ることのない逆鱗に触れてしまう。それがまたイイ感じで信長の火薬庫に火をつけてしまうのだった。
「なぁーにをクソたぁけこいとる!おみゃーが何したきゃ?何もやっとれせんがや!それを『われわれ』だぁ、ちょーすいとるのもえーかげんにしやぁ!めっちゃんこ腹立つでかんがや!転封してまうで!」日本語に訳すと次のようになる。
「何をバカなことを申すか!お前が(この戦で)何をしたというのだ?何もしていないではないか!それを『われわれ(の苦労)』とは、調子に乗るのもいい加減にしろ!つくづく腹の立つ奴だなお前は!もっとのどかなところに移してやってもいいんだぞ?」

光秀は耐えた。別に、いつの日か死なない程度にかわいがってやるぞ、とか復讐を胸に誓っていたわけではない。少なくともこの時点においては。

同年5月末、丹波亀山、光秀の居城。
あれからも、光秀に試練はふりかかった。それでも、彼は耐えた。というよりむしろ、屈辱を向上心に変えることが彼にはできたということであった。だから、信長としても働いて成果を出す限りにおいては光秀を誉めてやろうという気も起きようというものである。
しかし、信長と光秀には結局、どうしても相容れないものがあった。破局は、いつか訪れる。

その日、光秀に信長より下賜の品が届けられた。こういうときの添え状にもきちんとした書き方があるものだが、ここでは意訳すると、
「いやー、この前は悪いことしてまったにゃ。(私は)気がみじけゃーで、ついカッとなってまうんだわ。詫びいうのも何だで、『きよめもち』贈るわ。食べたってちょーせ。P.S.次はサルを助けて、中国方面に出撃だぎゃ。おみゃーは山陰の方だで、準備せぇよ。あ、切り取り放題だに、丹波は召し上げね☆」 ふふ。なんだかんだ言っても、上様は私の働きに期待してくれているではないか。さて、頂いたものを皆で分けるとするか。座には、光秀以下婿の明智秀満、腹心の斎藤利三、溝尾庄兵衛がいた。彼らもこれでやる気が奮い立とうというものだろう。光秀は箱のフタを開ける。
絶句。
「あー!」
「ケチー!」
「みっつー?」
「ひでー!」
ぷちん。

この瞬間、光秀の腹は決まった。

天正10年、6月2日、老の坂。沓掛まで進んで右へ向かえば中国路、左へ向かえば京の都。

「馬にはくつわをかませ、火縄には火を点けよ。草鞋の紐を短く切れ」
兵士たちは、突如しかれた臨戦体制に戸惑いを覚えていた。光秀の真意を知るものは、いまだ腹心の数名のみ。
光秀が兵士たちの前に立つ。夜明け前なれど、いつも以上にその表情が引き締まっているのが見て取れる。兵士たちのざわめきは自然とおさまった。光秀は面々を一通り見渡すと、一瞬険しい表情を見せたが、すぐに馬ごと向きを変えると采配を手にした右手をサッとふりかざした。

「我が敵は、本能寺にあり!」
歴史の可能性が、確かに一つは消えた。

注:「きよめもち」とは熱田神宮(のすぐ脇)が発祥のお菓子。こしあんを求肥でくるんだもので、お茶うけによし。ただし、戦国時代にはまだ存在しなかったはずで、要するにフィクションです。あと、名古屋弁はどこかおかしいかもしれませんがご容赦を。












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