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3つの階級
by 夜なべ紳士



   貴族

 ヴェネツィアには貴族、市民、庶民という3つの階級があった。貴族はセッラータと言う改革により形成されることとなる法的基盤に基づいた特権階級である。貴族のみが持っている特権が政治に参加することができる権利であり、それは指定された家柄のすべての男子は25歳になったら自動的に大議会に議席が与えられることにより保証されていた。但し、貴族の子弟であっても庶子や合法的に廃嫡された者は政治に参加できず市民として扱われる事となっていた。そのため、血統により規定されることとなる貴族と言う地位を保証するものとして、当然系図が重要な意味合いを持ってくる。そこで、ヴェネツィア共和国では司法長官によって護られていた『黄金書』に貴族の系図を記載することとなっていた。各種の行政官、地方の司政官、外国への使節、ガレー船乗組みの司令官といった800以上のポストが貴族により占められていた。そこにはコレッジオ、十人委員会、大使、主要都市と重要な島の司政官、元老院の小委員会のメンバー、海軍の幹部といった100以上の要職も含まれている。彼らは主に貿易、土地、債権、官職などから収入を得ていた。特に貧困化した貴族は着実な収入が得られる下級官職へ就任しようとしたし、政府も貧困貴族救済のためにそうした役職を用意していたようである。貧困貴族が下級官職につき収入と社会的威信を確保しようとしていたのに対し、富裕な大貴族は国の中枢に携わり巨大な富を蓄えていった。彼らは多額の出費を伴うが、莫大な利益を引き出しうる要職に就任しようとしたし、実際200家はある貴族の家系のうち数十家が傑出した役割を果たしていた。また財力にばらつきがあることからも分かるように、ヴェネツィア貴族は均質で一枚岩の集団ではなく、世代、財力、家系の伝統と言った点で対立する多様性をもつ集団であったということである。


   市民

 市民は肉体労働をしない父と祖父をもち、かつ25年以上ヴェネツィアに居住する者にのみ限定された。彼らは貴族と同じように、出生と共に司法長官に護られていた『銀書』に登録された。そして、この階級は2つの特権を持っていた一つが貴族と共に国有ガレー商船で積荷を運べると言う権利で、これは商業上の利益と特権を保証するものであった。もう一つが書記官になって行政上の事務を通じて国政に関与することができることであった。また、市民は国家行事で主役を演じるスクォーラ(相互扶助同信組合)のうちスクォーラ・グランデと呼ばれる6つの主要なスクォーラを運営していた。市民には2つの階層があった。一つは商業上の利益を追求していった商人層で、国政に参加できないことに比較的不満を抱かない市民達である。彼らのなかには国家全体が商業を保護するヴェネツィアの市民権を取得したヴェネツィア以外の都市の商人が多く含まれていた。彼らの多くは帰化して永住しようとは思っていないため、政治に参加できなくとも商業上の利益が守られている限り、大きな不満を抱くことは少なかったであろう。それに対し、もう一つの階層である書記局官僚層は15世紀の書記局の再編で官僚層を形成していった上層市民であった。彼らは各官職に就任する貴族を補佐するのが務めであった。貴族が就任する政治ポストの任期が一年や半年といった短い期間であるのに対して、書記官の任期は限定されてはいなかった。これは書記官が短期で交代する貴族に職務の行政上の知識や前例を教示する役割を担っていたためである。そして、書記官のトップである書記官長は元首に匹敵する敬意をもって遇されていた。彼は元首以外の貴族がメッセールと呼ばれていたのに対し、元首と同じドミーノという称号で呼ばれていた。官僚層は職務や婚姻などを通じて大貴族と結びつくことで政治的影響力を増大させると共に、経済的利益を引き出していった。そして、その事が貧困貴族との対立を招く事となるのである。


   庶民

 庶民は貴族階級と市民階級を除いた残りの人々で、ギルドに属する比較的恵まれ組織化された労働者とそうでない貧しい未組織労働者とに分けられる。庶民の三分の二はギルドに属していた。ヴェネツィアには100以上ものギルドが存在し、14世紀にはどのギルドも国家諸機関の厳重な監督下に置かれていた。国営造船所の労働者はヴェネツィアの国力に直結する基幹産業に携わっていたため、行き届いた身分保証がなされていた。彼らは緊急時と大議会が開かれている時は警護兵を務めたし、元首の葬儀ではその棺桶を担いだ。政府は諸ギルドに自治を与えながら分割支配することに成功していたので、彼らの政府への不満をいくらか抑えることができた。また、就業の機会、安価な食糧、公正な裁判が保証されていたことが不満を強く抱かない要因となっていたのは間違いない。



 このように、ヴェネツィア社会には3つの社会階級があった。しかし、もとから3階級に分かれていたわけではない。ヴェネツィア建国時から13世紀末まで有力者かそうでない者かという違いはあったにせよ、法的には同じ土台の上に立っていたのである。その中から貴族階級が分岐するのは次節で述べる13世紀末から14世紀にかけて行われたセッラータという一連の改革を通じてであった。彼らはそれにより特権階級を形成し自己を明確に定義できるようになったのである。市民と庶民の分化も14世紀の間に起きたと考えられる。その後、法的な区分も成立することとなるが具体的な経過はあまりよく分かってはいない。



<参考文献>
永井 三明 『ヴェネツィア貴族の世界』
     刀水書房  1994年
斎藤 寛海 「都市の権力構造とギルドのありかた」
     『史学雑誌』 83 1992年 PP67〜92
クリストファー・ヒバート 著 横山 徳爾 訳 『ヴェネツィア 上』
     原書房 1997年
藤内 哲也「近世初頭のヴェネツィアにおける書記局官僚層の形成とその意義」
     『史林』 80 1997年 PP38〜75












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