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貞永式目(御成敗式目)
当時法律は、律令の系統をひく公家法と、荘園領主のもとでは本所法が存在しましたが、武士の存在が大きくなるにつれて武家独自の法律をつくる必要性が高まってきました。貞永式目はこの流れを受けて、貞永元年(1323年)に北条泰時により制定されました。武士にもわかるよう平易な文章で書かれていることが特徴です。
この貞永式目は、室町幕府にも基本法典として用いられただけでなく、後の戦国大名の分国法にも影響を与えたことからも、かなり完成度の高い優れた法典であったことがうかがえます。

第三条 守護の職務
原文
一、諸国守護人奉行の事
 右、右大将家の御時定め置かるる所は、大番催促・謀叛・殺害人(付たり。夜討・強盗・山賊・海賊)等の事なり。而るに近年、代官を郡郷に分(わか)ち補し、公事庄保(しょうほ)に充て課(おお)せ、国司に非ずして国務を妨げ、地頭に非ずして地利を貪る。所行の企て甚だ以て無道なり。
抑(そもそも)重代の御家人たりと雖も、当時の所帯無くば駆り催すに能はず。兼ねて又所々の下司庄官以下、其の名を御家人に仮り、国司・領家の下知(げじ)を対捍(たいかん)すと云々。然るが如きの輩(ともがら)、守護役を勤むべきの由、縦(たと)ひ望み申すと雖も、一切催を加ふべからず。
早く右大将家御時の例に任せて、大番役ならびに謀叛・殺害の外、守護の沙汰を停止(ちょうじ)せしむべし。

右大将家:頼朝のこと。頼朝は1190年に権大納言右近衛大将に任命された。
大番催促:守護が、皇居を守護する京都大番役に、国内の御家人を動員すること。守護の重要な職務である大犯三ヶ条の一つ。
公事:年貢以外の雑税と労役
庄保:荘園と公領
所帯:所有している財産や所領
対捍:逆らい拒否すること


一、諸国守護人の職務・権限について
このことについて、右大将家(源頼朝)の時代に決められたのは、大番役の催促、謀叛人・殺害人(夜討ち・強盗・山賊・海賊を付け加える)の逮捕などの事柄である。ところが近年、守護は代官をそれぞれ郡郷に任命して、夫役や雑税を荘園や公領に課し、国司でもないのに国政を妨げ、地頭でもないのに土地からの収益をむさぼっている。このような行為は甚だしく道理からはずれている。
そもそも、代々御家人であった者でも、現在知行する所領がなければ御家人として催促することはできない。また、そこここの下司・荘官らが御家人の名をかたり、国司・領家の命令に逆らっているという。こういうような連中が、守護役を勤めたいと、たとえ望んできたとしても、決して召集してはいけない。
早く頼朝公の頃の例にならって、京都大番役と謀反人・殺害人の逮捕以外の守護の関与を禁止する。
解説
ここでは大犯三ヶ条と呼ばれる内容を含む守護の本来の職務をあきらかにしています。この条文は、次の第五条の地頭の年貢拘留の禁止などとともに、当時横行していた武士による荘園・公領の侵略を阻止する狙いがありました。
泰時は武士の代表として、朝廷に配慮をしたわけですね。
ちなみに守護というのは、単にその国の御家人を管理するだけで、後の守護大名ほどの権限も領地もありませんでした。

第五条 地頭の年貢滞納について
原文
一、諸国地頭、年貢所当を抑留せしむる事
 右、年貢を拘留するの由、本所の訴訟有らば、則ち結解(けちげ)を遂げ勘定を請くべし。犯用(ぼんよう)の条、若(も)し遁(のが)るる所無くば、員数に任せてこれを弁償すべし。但し、少分に於いては早速沙汰を致すべし。過分に至っては三カ年中に弁済すべきなり。
猶(なお)此の旨に背き難渋せしめば、所職(しょしき)を改易せらるべきなり。

所当:荘園領主に納めるべき雑税・公事
本所:荘園領主
結解:決算
犯用:他人のものを盗みとって使ってしまうこと
員数:所定の数量
所職:地頭の権利のこと


一、諸国の地頭が(領主に納めるべき)年貢や雑税をおさめとどめている事について
右のように、年貢をおさめとどめているとのことで、本所側から訴訟があれば、ただちに決算して、本所の監査を受けよ。本所の収入を横領していたことが明らかになったならば、所定の数量を弁償せよ。ただし、額が少ない場合にはすぐに弁償すること。額が多い場合には三年の内に分割して納めよ。
なお、この旨に反して返済を怠っていた場合には、地頭の権利を取り上げる。
解説
地頭というのは、諸国の荘園の管理をし、領主に納入する年貢のうち一部を自分のものにするという役職でしたが、この頃には、領主への年貢を滞納して自分の懐に入れる地頭が多かったのです。泰時はこれを厳しく罰しました。

第八条 所領について
原文
一、御下文を帯ぶると雖も知行せしめず、年序を経る所領の事
 右、当知行の後、廿(二十)ヶ年を過ぐれば、大将家の例に任せて理非を論ぜず改替(かいたい)に能はず。而るに知行の由を申して御下文を掠(かす)め給はるの輩、彼(か)の状を帯ぶると雖も叙用に及ばず。

御下文:幕府が出す本領安堵・新恩給与の下文
年序:相当期間の年数。
当知行:その土地の所有権を主張する者が現実にその権利を行使していること
改替:交代させること
掠め給はる:ごまかしてもらいうける
叙用:意見を採用すること


一、御下文を持っているにもかかわらず、実際の土地支配を行わないまま相当の年月が経過した所領について
 右については、現実に支配した後20年が過ぎた場合には、頼朝公の頃の慣例により、正当性いかんにかかわらず、現在支配をしている者を辞めさせることはない。しかし、支配していると嘘をついて御下文をもらった者は、そうした証拠書類を持っているとしても、その主張は採用しない。
解説
この条文は知行年紀法と呼ばれ、第七条の不易の法とともに御家人の権利を保護したものです。
先ほどから何度か「頼朝公の頃の慣例により」という文章が出てきますが、これがこの貞永式目の特徴です。貞永式目の基本理念は「慣例」と「道理」なのです。

第二十三条 女性が養子を迎えることについて
原文
一、女人養子の事
 右、法意の如くばこれを許さずと雖も、大将家御時以来当世に至るまで、其の子無きの女人等、所領を養子に譲り与ふる事、不易の法勝計すべからず加之(しかのみならず)都鄙(とひ)の例先蹤(せんしょう)惟(こ)れ多し。評議の処尤も信用に足るか。

法意:律令の趣旨
不易の法:代々の先例であることを強調している
勝計すべからず:数え切れないほどある
加之:そればかりでなく
都鄙:都は都会、鄙は田舎のことで、総じて国中の意
先蹤:前の人の事業の跡、則ち前例。
評議の処:式目制定過程における評定会議の審議内容


一、女性が養子を迎える事について
 右のことについては、律令の趣旨からすれば許されないことだが、頼朝公の頃から今日に至るまで、子のいない女性が所領を養子に譲り渡すことは、武家社会のかわらぬしきたりとして数え切れないほどある。そればかりでなく、国内の各地で前例も多い。評定会議の決定としても確かなものであろう。
解説
この条文では律令とは違い、頼朝以来の武家の先例を採用していますが、これは貴族社会と違い、武家社会では常に男子の死が意識されていたためでしょう。またこの条文に見られるように、貞永式目では女性の社会的地位が高く、前後の時代では見られない特徴です。









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