左衛門少尉
左衛門府の三等官。衛門府は内裏警備の任に当たった六衛府のうち、皇居諸門の護衛、出入の許可、行幸の供奉などをつかさどった役所。衛門少尉は正七位上相当だが、後には五位・六位の者が任じられた。このうち、特に優れた五位に「使宣旨(つかいのせんじ)」と呼ばれる天皇の宣旨が下され、検非違使を兼帯し「大夫尉(たゆうのじょう)」と呼ばれた。なお、義経は源義仲を討滅後、元暦元年(1184年)8月、頼朝の推薦を受けず直接、後白河上皇から左衛門少尉・検非違使・五位に補任され、これが頼朝とののちの反目の原因となっていった。
弓箭の芸
武士の武士たる芸、弓矢の技術。転じて、ここでは「武芸」ほどの意味。
会稽の恥辱
(春秋時代、越王勾践が、会稽山で呉王夫差に降伏したが、多年辛苦の後に夫差を破ってその恥をすすいだ故事から) 以前に受けたひどい恥辱。「臥薪嘗胆」の語源ともなった。
抽賞
多くのものの中からひきぬいて賞すること。
讒言
人をおとしいれるため、事実をまげ、またいつわって、(目上の人に)その人を悪く言うこと。また、その言葉。
勘気
主君や父からのとがめ。
紅涙
血の涙。
宿運
前世から定まっている運命。宿命。
業因
苦楽の果報を招く因となる善悪の行為。
故頭殿
ここでは、頼朝・義経の父親であり、保元乱後に左馬頭に任じられ、平治の乱で破れて後に家来に殺された、源義朝。律令制で御牧および諸国の牧場から貢進する官馬の調習・飼養、穀草の配給、飼部の戸口・名籍などをつかさどった役所を馬寮(めりょう)と呼び、左馬寮(さまりょう)と右馬寮(うまりょう)とに分れ、各長官を頭と称した。唐名は典厩(てんきゅう)。
〜の間
中世の文章では、接続詞として「〜なので」という意味で用いられる。
大和国宇陀郡竜門牧
詳細不明。
木曾義仲
誰でも知っているので省略。
誅戮
罪をただして殺すこと。罪あるものを殺すこと。
鰓
あご、魚のエラ。
五位尉
前出「左衛門少尉」項の「太夫尉」に同じ。
愁訴
情実をあかして嘆き訴えること。
牛王法印
大寺社で発行される「牛王法印」などと記された護符。特に熊野神社の牛王法印が有名。もとは牛の胆汁を水に溶き、厄除けとして額などに印を押したものが始まりらしく、各地の修正会・修二会などでも、導師が参拝者の額に印を押すことがある。牛王法印の護符は、神仏の力を持っていると信じられたことから起請文によく使われ、牛王法印の裏面に文言を書くことから、起請文を記すことを「法印を翻す」と言った。また、形式として「敬白起請文事(けいびゃくきしょうもんのこと)」という書き出しで始まり、次いで起請する内容を書き、この内容に反した場合には「梵天帝釈四大天王日本国中大小神祇別而(べっして)***」と***に普段から信仰している神を最後に書き、癩病など神罰を受けるぺきことを記した。
宥免
罪をゆるすこと。
高聞
他人が聞いてくれることを敬意をこめていう語。ここでは、頼朝が聞くこと。
積善の余慶
「易経」に「積善の家には必ず余慶あり」とあり、善行を積み重ねた家には必ず子孫にまで及ぶ幸福がその報いとしてやって来る、という意味。
栄花
栄華に同じ。
愁眉
愁えでひそめた眉。愁えわしげな顔つき。
因幡前司
前司は前任の国司。ここでは元因幡守、初代公文所別当・大江広元。
『腰越状』とは……
源義経が兄・頼朝の勘気を解くため、文治元年(一一八五年)五月二四日、腰越から大江広元に宛て、取りなしを依頼したと伝えられる書状。鎌倉幕府の公式史書『吾妻鏡』に全文を載せるが、その文章の真偽は不明。『平家物語』にも同様の文を乗せる。『吾妻鏡』編纂時、収拾した史料の真偽を問わず記載したことが証明されており、また『吾妻鏡』が編纂されたのは一二六〇年代後半と推定され、その時点までに偽作された可能性も否定できない。ちなみに、『平家物語』が成立するのが一二二〇〜一二四〇年頃。
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