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陽明学ーその1、朱子学批判・・中国の宗教改革
元来、孔子がとなえた儒教は、「おのれを修め人を治める」(修己治人)を目標にした実践的なおしえでしたが、前漢の時代に国教化された後は、春秋戦国時代の儒家ののこした書物に「1語の解釈に3万字を使う」といわれる煩瑣な解釈をするだけの無味乾燥なものになってしまいました。

その後、これを是正しようとして宋の時代(西暦960〜1279)におこった朱子学も、明になってからは国家公認の学問として批判を許さない権威を持ち、そのうえ、その教えは「人間社会のすべては、権威に従い永久不変でかえられないもの」だとされていました。

そのために人々は形式的にそれにとらわれ、しばられており、きゅうくつな生活を強いられていました。 そして、朱子学のみで儒教経典は解釈され、朱子学の解釈を否定することはやってはならないこと、とされていたのです。

しかし、幼い頃から朱子学による思索によりノイローゼになったりいろいろな苦悩をしたことから、 朱子学に疑念を抱いていた王陽明は、1518年、儒教における「般若心経」ともいうべき根本経典、『大学』が朱子学の開祖・朱熹により文章が朱子学の主張に合う形で変えられていたことに反対し、古典本来のすがたに戻した『古本大学』(こほんだいがく)を出版。朱子学の解釈を否定し、権威にやみくもにしたがうのではなく、みずから責任をもって行動する心の自由を説いたのです。

それに対して、陽明の友人で、朱子学者の羅欽順(ら・きんじゅん)が批判の手紙を送ってきたのに対し、 みずからの主張を述べたのが、ここで紹介する手紙「羅整菴少宰に答うる書(らせいあんしょうさいにこたうるしょ)」です。
王陽明は時に48歳、明帝国を二分した叛乱、「朱宸濠(しゅしんごう)の乱」を自ら指揮してわずか14日で平定した後で、その主張は気迫に満ちています。西暦1520年のことでした。


■原文■
羅整菴少宰に答うる書

「大學」古本乃孔門相伝舊本耳。朱子疑其有所脱誤而改正補緝之、在某則謂其本無脱誤、悉從其舊而已矣。失在於過信孔子則有之、 非故去朱子之分章而削其伝也。夫學貴得之心、求之於心而非也、雖其言之出於孔子、不敢以為是也、而況其未及孔子者乎?求之於心而是也、雖其言之出於庸常、不敢以為非也、而況其出於孔子者乎?

且舊本之傳數千載矣、今讀其文詞、則明白而可通、論其工夫、又易簡而可人、亦何所按據而斷其此段之必在於彼、彼段之必在於此、與此之如何而缺、彼之如何而補?而遂改正補緝之、無乃重於背朱而輕於叛孔已乎?

(『伝習録』中巻:答羅整菴少宰書)

『大学』古本は乃ち孔門相伝の旧本のみ。
朱子は其の脱誤する所有るを疑って之を改正し、補緝す。

に在っては則ち謂えらく其の本には脱誤無しと、悉く其の旧に従いし而已矣。
失は孔子を過信するに在りとは則ち之れ有り、


『大学』は四書の一つで、「孔子の遺作」といわれていました。

中庸の「誠」の理論を受けた簡明な儒教概論で、儒教の精髄ともいわれています。これはもともと五経の一つ、「礼記」の一編(第四二)だったもので、宋の朱熹により 『論語』・『孟子』・『中庸』と並ぶ儒教の最も大事な書物「四書」とされました。 ところがこの時、文章が一部分すっぽりと抜け落ちている個所があったのを、朱子学の祖・朱熹が欠落個所を補ったり改変を加えましたが、この改変でもとの『大学』にはない、朱子学の思想である「敬」(悪い事をしないようにひたすら瞑想すること)という概念が付け加えられてしまっていたのです。 そのために、王陽明はこれに反対、もとの「礼記」からとりだして、「古本大学」を作ったのです。


『大学』古本は「古本大学」に同じ。 脱誤は、文字がぬけたり、まちがったりすることです。

は、(それがし)と読み、自分を謙遜していうことばで、「わたくし」 の意味です。

故に朱子の分章を去って其の伝を削るに非ざる也。

夫れ学は之を心に得るを貴ぶ、之を心に於いて求めて非なるや、其の言の孔子に出ずと雖も、敢て以って是となさざる也、而して況んや其の未だ孔子に及ばざる者をや?

之を心に於いて求めて是なるや、其の言の庸常(ようじょう)に出づと雖も、敢て以て非と為さざるなり、而るを況んや其の未だ孔子に及ばざる者をや?

且つ、旧本は之を伝わること数千載なり、今、其の文詞を読むに、則ち明白にして通ずべし、其の工夫を論ずるは、又、易簡にして入るべし。

亦た何の按據する所か在りて其の此の段の必ずや彼に在り、彼の段の必ずや此に在ると此の如何にして欠け、彼の如何にして誤るかとを断じて、遂に之を改正・補緝せんや。

乃ち朱に背くを重んじて、孔に叛するを軽(かろん)ずること無からんや。

『伝習録』中巻:「羅整菴少宰に答える書」より、抜粋)
数千載は数千年に同じ。
羅整菴は羅欽順のことで、整菴は羅欽順の号です。革新的朱子学者として知られています。

『伝習録』は上・中・下の3巻からなるもので、王陽明の言行録や、
手紙を集めた陽明学の重要史料です。王陽明は著書を持たなかったため、弟子により編まれた『伝習録』が、著書の扱いを受けています。

日本にも1641年にはじめて京都で印刷され、日本思想に大きな影響を与えました。



■意訳■

私が先に出版した、「大學古本」は、孔子の門下が代々伝えてきたものなのです。 その、「大學古本」に、朱子が「誤字・脱字や内容の誤りがあるのだ」と疑って、『大学』を改訂し、補緝したものが現在でまわっている『大学』なのですが、わたしは朱子と違い、「大學古本」には誤字脱字がないと考えるので、すべて元来伝承されてきた『大学』にもどしたというだけのことなのです。
孔子本来の教えに基づきすぎるという弊害はあるかもしれませんが、朱子の改訂を否定した気はありません。

だいたい、学問とは自分の心を正しく捉えることを貴ぶもので、 心をとらえることができない学問はまちがっています。孔子がおっしゃったことですら,自分の心に正してみてまちがっていれば信じてはならないのに、 ましてや孔子におよばない人のことばであれば、まちがいを信じるわけにはいきません。

また、ごくふつうの人がいったことであっても、自分の心に正してみて正しいのであれば、それを誤りとすることはできないことです。ましてや、孔子のことばであればますます誤りとするわけにはいかないのです。

さらに、「大學古本」は数千年にもわたって読み継がれてきたもので、今読んでみても朱子が改変したものよりずっとわかりやすく、精神修養の実行が出来るのです。 そうであるのに、朱子は、「こちらが欠けていてわかりにくい」だの、「ここの文章はおかしい」 だのといって勝手に『大学』を改変してしまったのです。彼になんでこのような勝手が 許されるというのでしょうか。

そこで遂に私は昔ながらの「大學古本」を出版したのです。そして、あなたのご批判は、朱子に従うのに重きをおいているだけで、孔子が説いた儒教本来の思想を軽んじたものとしか思えないのです。

「学問とは自分の心を正しく捉えることを貴ぶもの」というところに、別名「心学」とも呼ばれる主体性を重んじた陽明学の面目が伺えます。この年、ちょうどヨーロッパではルターがカトリック教会に立ち向かい宗教改革を行っています。


ルターにも王陽明にも、自由な精神の回復を説く面は共通しているといえるでしょう。








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