『大学』古本は乃ち孔門相伝の旧本のみ。
朱子は其の脱誤する所有るを疑って之を改正し、補緝す。
某に在っては則ち謂えらく其の本には脱誤無しと、悉く其の旧に従いし而已矣。 失は孔子を過信するに在りとは則ち之れ有り、
『大学』は四書の一つで、「孔子の遺作」といわれていました。
中庸の「誠」の理論を受けた簡明な儒教概論で、儒教の精髄ともいわれています。これはもともと五経の一つ、「礼記」の一編(第四二)だったもので、宋の朱熹により
『論語』・『孟子』・『中庸』と並ぶ儒教の最も大事な書物「四書」とされました。
ところがこの時、文章が一部分すっぽりと抜け落ちている個所があったのを、朱子学の祖・朱熹が欠落個所を補ったり改変を加えましたが、この改変でもとの『大学』にはない、朱子学の思想である「敬」(悪い事をしないようにひたすら瞑想すること)という概念が付け加えられてしまっていたのです。
そのために、王陽明はこれに反対、もとの「礼記」からとりだして、「古本大学」を作ったのです。 『大学』古本は「古本大学」に同じ。
脱誤は、文字がぬけたり、まちがったりすることです。
某は、(それがし)と読み、自分を謙遜していうことばで、「わたくし」
の意味です。
故に朱子の分章を去って其の伝を削るに非ざる也。
夫れ学は之を心に得るを貴ぶ、之を心に於いて求めて非なるや、其の言の孔子に出ずと雖も、敢て以って是となさざる也、而して況んや其の未だ孔子に及ばざる者をや?
之を心に於いて求めて是なるや、其の言の庸常(ようじょう)に出づと雖も、敢て以て非と為さざるなり、而るを況んや其の未だ孔子に及ばざる者をや?
且つ、旧本は之を伝わること数千載なり、今、其の文詞を読むに、則ち明白にして通ずべし、其の工夫を論ずるは、又、易簡にして入るべし。
亦た何の按據する所か在りて其の此の段の必ずや彼に在り、彼の段の必ずや此に在ると此の如何にして欠け、彼の如何にして誤るかとを断じて、遂に之を改正・補緝せんや。
乃ち朱に背くを重んじて、孔に叛するを軽(かろん)ずること無からんや。
(『伝習録』中巻:「羅整菴少宰に答える書」より、抜粋)
数千載は数千年に同じ。
羅整菴は羅欽順のことで、整菴は羅欽順の号です。革新的朱子学者として知られています。
『伝習録』は上・中・下の3巻からなるもので、王陽明の言行録や、
手紙を集めた陽明学の重要史料です。王陽明は著書を持たなかったため、弟子により編まれた『伝習録』が、著書の扱いを受けています。
日本にも1641年にはじめて京都で印刷され、日本思想に大きな影響を与えました。
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