今回は、いままでのが人物を中心とした話でしたが、今回は裁判を取り上げてみたいと思います。これら裁判は、古代ギリシアの裁判は陪審員制で、市民たちによってその有罪無罪が決定されました。そして、この裁判では検察や弁護士は存在せず、実際の原告と被告、そして、友人の弁護によって裁判が進められました。原告と被告双方に同じだけの時間が許されて、その時間の限り、自分の意見を主張し、その日のうちに裁判の判決は言い渡されて、控訴や上告は許されませんでした。このような裁判制度では当然間違った判決が下される事もあったようで、しかも、人を告発する事によって金をもうける告発屋の存在や、陪審員たちの気まぐれによって、不当な判決も稀ではありませんでした。
これらの裁判に勝つために、必要とされたのは弁論のうまさです。大勢の人たちを説得する弁論術は民主政治には必須のものでしたが、裁判で勝つためにも重要でした。お金があり、教養のある人々は弁論術を高額な授業料を払ってでも身につけようとしましたが、実際問題すべての人がそういう事が可能であったわけではありません。ここで、出てきたのがお金をもらって他人のために弁論を書いてあげる弁論作家です。かれらは政治家のための演説や裁判での原告、被告のために弁論の原稿を書いてあげたのです。これら弁論作家の作品のいくつかは現在にも多く残っています。これらは、当時どのような裁判がおこなわれていたのか現代の私たちに教えてくれます。この多くの弁論の中で、今回はリュシアスの第1番弁論「エラトステネス殺害容疑のために弁明」をとりあげます。リュシアス有名な弁論作家で、いくつもの優れた弁論が残っていますが、その弁論の中でも特に注目するべき面白い作品です。
この弁論はエウピレトスという男がエラトステネスという男を殺したという事に対して、エラトステネスの家族が訴えた裁判です。つまり、原告はエラトステネスの遺族、被告はエウピレトスで、この弁論自体はエウピレトスの弁明のための弁論です。
この殺害事件はかなり複雑な事情の下、起こった事件でした。エウピレトスはエラトステネスの殺害の理由を以下のように説明しました。
私は妻と結婚したばかりのとき、はじめは妻が好きなことをし過ぎないように見張っていましたが、子どもができてからはすっかり彼女の事を信頼して、自分の事もすべて彼女に任せるようになりました。彼女もはじめのうちはよい妻で、倹約家で、家事もきちんと処理していました。しかし、この妻はエラトステネスによってすっかり堕落させられてしまったのです。
私の母が亡くなって、その葬儀についていく時に私の妻はあの男の目にとまり、その男は奉公女が買い物に出て行くのを待ち受けて、伝言し、彼女を堕落させたのです。
つまり、エウピレトスの妻はエラトステネスと姦通を犯していたのです。アテナイでは夫が妻以外の女性と関係を持ったり妾を持つ事は許されていましたが、妻が夫以外の男と関係を持つ事は許されませんでした。もちろん、人妻に手を出した男も当然罰せられました。
エウピレトスは自分はすっかり妻を信用していたので、そんな事はちっとも気付かなかったといっています。ところが、エウピレトスはある日、妻の姦通を知ってしまいます。それはエラトステネスの恋人の使いの老女が知らせてきたからでした。
ところが、自分にふりかかってきた害にすっかり気付かずにいたのだが、ある日ひとりの老女が知らせて来た。彼女はあの姦通相手の婦人に遣わされてきたのである。つまり、後になって聞いた事であるが、彼女はエラトステネスが以前のように自分のところに通ってこなくなったので、不正をされたと思って、原因を突き止めようと見張らせていたのである。そういうわけで、老女は私の家の近くで窺がっていたのだが、私のところにやってきて言ったのである。
「エウピレトス様、決しておせっかいだとは思わないでください。貴方と貴方の奥さんとを陵辱しているあの男は私たちの敵に他ならないのですから。あなたがたに使えているあの奉公女を拷問したら、あなたはすべてを聞き出せるでしょう。オエ区のエラトステネスなんです。こんな事をしているのは。あなたの奥さんだけでなく、他の女たちも堕落させてきました。そんな技巧を持っているんです。」
このように知らされたエウピレトスは妻を疑う気持ちになりました。いろいろ思い出してみると、妻が確かに怪しいそぶりをしていたようにおもえてきて、猜疑心にみたされたのです。そこで、あの老女にいわれた通り、奉公女を拷問する事にしました。はじめはこの奉公女も否定して、何も知らないといったのですが、エウピレトスがエラトステネスの名前を出すと、女も観念してすべてを白状したのでした。彼女からすべての事情を聞き出したエウピレトスはこの奉公女に口止めをしておいたのでした。そして、4,5日後に事件は起こったのです。
ある日、私の親友にして身内のソーストラトスが日が没してから、田舎から帰ってくるのに出会った。こんな時刻に帰っても、家ではだれもつかまえられまいと知っていたので、私は彼を食事に誘った。私の家に行って、二階で晩餐を食べたのである。その後、彼は帰って行き、私は寝たのだが、エラトステネスは入りこんできた。奉公女はすぐに私を起こして、「中にいる。」といった。私は彼女に扉を見張っているように言って、下へ降りていった。そして、知り合いの家を訪ねて回ったが、ある人は出かけていなかったりした。それでも、居合わせた人たちの中で、できるだけ多数を味方につけるために歩き回り、私たちはすぐ近くの小売店から松明を持って踏み込んだ。そして、われわれはあの男が妻の側に横たわっているのを目撃したのである。
これがエウピレトスによって語られる事件当日の話です。何で妻の不貞現場に乗り込むのに知り合いを集めてくるのか、私には理解できませんが、とにかく、男を逃がさないように、反撃されて怪我をしないようにかもしれません。こうして、エラトステネスは乗り込んで来た夫のエウピレトスによって締め上げられたのでした。エラトステネスは観念したのか罪を認めて、殺さないで賠償金を受け取るようにと嘆願したようです。どうも、こういう妻の姦通騒ぎというのは古代ギリシアではそれなりにあったようで、しかも、たいていは賠償金で片付けられる事が一般化していたようです。しかし、エウピレトスはこれに同意しませんでした。そして、エラトステネスは殺害されました。
つづく