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維新をめぐるイギリス・フランスの外交戦争


まず列強は日本を占領するつもりはありませんでした。激しい攘夷運動を見てきている彼らは、日本を占領すれば終わりのない内戦に突入すると考えていたからです。彼らとしては幕末の混乱が早く過ぎ、自分たちに都合の良い政権ができることが最も望ましいわけです。そして期待するだけでなく、彼らは色々な角度から幕末に干渉しました。その中でも、最も維新に深く関わったのはイギリスとフランスです。

当初イギリスもフランスも、幕府を中心とした中央集権的な政権ができることを望んでいました。しかし、時がたつにしたがい、将軍がヨーロッパの皇帝のような存在ではないことに気づきました。将軍は単に大名連合の盟主という立場に過ぎなかったのです。ここでフランスとイギリスの外交に変化が生じてきます。


パークス
イギリスは薩英戦争で薩摩と戦い、その技術力の高さと先進性に目を見張りました。幕府に限界を感じていたイギリスは、薩摩ら列藩の後押しをし、天皇による統一政権を誕生させようと考えたわけです。薩摩が効率的に武器を調達できたのは、イギリスの意向があったからだと言えます。そして薩長同盟にもイギリスは関わったといわれています。当時のイギリスの駐日公使は、アヘン戦争で活躍したパークスという人物でした。そのため、イギリスの外交はパークス外交とも呼ばれています。

フランスは逆の姿勢をとりました。フランスは幕府の権力をさらに向上させ、幕府による中央集権的な政権の樹立をもくろみました。諸藩を解体し、郡県制を採用するよう幕府の重臣に働きかけたのです。これに最も深く関心を示したのが、勘定奉行などを歴任した小栗忠順でした。彼は北海道を担保に、フランスから莫大な武器・軍艦・資金の援助を受け、雄藩を討伐しようともくろんだのです。しかし、普仏戦争でフランスが敗れたため、日本に関わっている余裕がなくなり、この計画は頓挫してしまいます。フランスの駐日公使はロッシュだったため、フランスの外交はロッシュ外交ともいわれます。
ロッシュ

そして皆さんもご承知の通り幕府は敗れ、薩長を中心とする天皇政権が誕生しました。日本の未来について深い洞察力を持っていたイギリスが勝利したのです。この後イギリスは日本の貿易の80%強を占めることになります。
佐幕・尊王の戦いの影で、列強の熾烈な外交戦争が繰り広げられていたのです。








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