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勘合貿易にまつわるお話



遣明船

これは知り合いに「勘合貿易は将軍義満がはじめたと教科書にあるが、あれは間違っている」という指摘を受けて、この際、勘合貿易についてまとめてみようかなと思ったので、書きます。

えー、そもそも勘合貿易は勘合符という割り木でもって貿易するから、勘合貿易と言われているわけです。割り木というのはどんなのかと言いますと、ある文字が書かれた木を二つに割ったやつで、それぞれを明・日本が持ちます。そして、日本船が入港すると、中国側の割り木と合わせてぴったりだと公認船と認められるわけです。
なぜこんなことをするかと言うと、当時倭寇という海賊が中国沿岸部で猛威を振るっていたためです。これではちょっとピンとこないかも知れません。それは倭寇がみなさんが考えているような海賊ではないからです。皆さんが海賊と聞くと、でっかい船で大砲をどかーんと鳴らすというイメージがあると思いますが、そうじゃありません。倭寇の船は川下り船程度の大きさです。もちろんこんなので海戦なんかはできません。んじゃ倭寇は海賊じゃないじゃないかって?そうです。その通りです。

勘合符

倭寇は商人なのです。普段はにこにこと商品の買い付けなどを行っていますが、値が気にくわないと突然豹変して、海賊に変わるのです。そして陸地のありとあらゆるモノを略奪し、去っていくのです。
ですから明としてはどの商人が倭寇で、どの商人がまともか見分けるために、室町政府が認めた船にのみ勘合符を与えることにしたのです。
あと勘合貿易で誤解しないで欲しいのは、これは貿易じゃないということです。貿易ってのは、対等の立場の人たちがお互いの商品を売買することですが、勘合貿易はそうじゃありません。日本から貢ぎ物を持っていくのです。そして皇帝はその貢ぎ物のお礼として絹や銅銭などを「下賜」するのです。

このような特殊な交易のことを朝貢貿易と言います。ですから朝貢貿易を行うには日本は中国の属国にならないといけないわけです。属国と言っても西洋のような属国ではなく、兄弟分といったところでしょうか。日本は中国を親・兄のように敬い、中国は日本を弟分として可愛がるというようなものです。
弟が貢ぎ物を持ってきたら、兄としてはそれ以上の品物を下賜しないと格好がつきません。そのため莫大な商品を下賜して、兄の威厳を見せつけるのです。ですから日本としてはどの商品が高く売れるかとか考えずに、とりあえず行ったら絶対儲かり、しかもその儲け額もハンパではないときてますからやめられません。

しかし属国になってでも必要なことだったのでしょうか?その理由は室町幕府の財政事情です。
室町幕府はおそらく日本の歴代政権のなかで最も財政基盤が脆弱な政権だったのではないでしょうか。直轄領は山城国一国しかなく、そのため関所を全国に建て、そこから通行料を取ったり、全国の家に床面積あたり税を取ったり、酒屋や金融業者から税を取り立てるなど涙ぐましいことをしていましたが、それでも足りませんでした。幕府の権威向上をはかる義満としては、莫大な収益が出る勘合貿易は家来という屈辱を我慢してでも諦められないものだったのです。

そして義満は勘合貿易をはじめるのですが、ここで幾つかの教科書がチョンボをしているのです。それらの教科書には将軍義満が勘合貿易をはじめるとありますが、彼はこのとき将軍を辞めており、この当時の将軍は義持です。ま、義持が将軍といっても実質は義満が政治をしていたので、間違いも分からないでもないんですが・・・・

あと、勘合貿易ではありませんが、朝貢貿易は尊氏の時にすでに始まっていました。後醍醐天皇の冥福を祈るために建立した天竜寺の予算をまかなうために行われたので、天竜寺船と言われています。







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