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三国志について


三国志と言えば、戦国と並ぶくらい人気のある時代ですが、はっきり言って、巷で言われている三国志は全くのフィクションです。

本来「三国志」とは晋の時代の陳寿によって書かれた歴史書のことを指し、一般的な三国志は明の時代に「三国志」をもとに書かれた「三国志演義」という講談なのです。ですが、あまりに「三国志演義」が有名になってしまったがために、「三国志」は「三国志正史」と言わなければならないようになってしまいました。

どう正史と演義は違うかと言いますと、正史は曹操を正当な支配者としているのに対し、演義は劉備を正当であるとしている点です。史実では三国時代のきっかけとなったのは曹操でしたし、革命者・軍学者など、どの面をとっても曹操が時代の人であり、劉備などは単なる反逆者でしかありません。
ではどうして演義ではそれほど劉備が持ち上げられているのでしょうか?それは「判官びいき」というものです。「判官びいき」とは義経をひいきすることから付けられた、立場の弱い者を贔屓してしまうことです。民衆とすれば、曹操という巨大な存在に立ち向かった劉備を格好よく描くことでスカッとしたかったのでしょう。

ですからみなさんが考える三国志はかなりねじ曲げられた歴史で、歴史とすら呼ぶのもばかばかしい代物なのです。具体的にはどこがどう違うかと言いますと、例えば劉備は聖人君主のように描かれていますが、結局は野盗のボスといった感じですし、なによりひどいのは曹操に対する扱いでしょう。例えば今残っている孫子の兵法書は曹操が註を加えたもの(1)で、一説(2)にはほとんど曹操の作とも言われています。孫子の兵法書には昔ながらの迷信やげん担ぎなどの非合理的な要素が数多くあったのですが、曹操はこれらを排除して純粋な軍学書にしたのです。曹操こそ類い希な革命家であり、軍学家でもあり、詩人でもあったのです。(3)しかし演義では知人を平気で殺す唯我独尊男のように描かれています。それらのエピソードは全て創作です。(4)

あとひどいのは趙雲に関してでしょうか。趙雲と言えば、魏ファン・蜀ファンを問わず人気のある武将ですが、正史ではほとんど出てきません。なぜ正史では無名の彼がそんな立派な武将に描かれているかと言うと、バカバカしい話なんですが、演義の作者である羅貫中と同郷の人だったからです。(5)講談てのは所詮こんなもんです。

あと諸葛亮に関してですが、彼は演義ではあたかも神さまのように扱われていますが、これもかなりひどいです。確かに彼は政治では非凡な才能を示していましたが、軍事は全くの素人でした。そりゃ当たり前です。学者なんですから(^^; 魏をさも毎回破ったように書いてますが、実際は再三にわたる遠征にも関わらず、魏をおびやかすことは一度もありませんでした。この辺を演義で読むと、まぁよくこんだけ嘘八百書けるなと感心してしまいます。

演義しか読んだことのない人は一度正史を読んでみて下さい。(6)あまりの違いにあっけにとられますよ(^^)
ちなみに有名な吉川英治「三国志」や横山光輝「三国志」は演義です。全く、演義なら演義と書けばいいのに。さも正史のように書いてあるから、そりゃ誰でも誤解しますよ。正史では陳舜臣の「秘本三国志」がオススメです。近頃では光栄の三国志にも正史が反映され始めて来ました。良いことです。

ただし、三国志がこれだけ有名になったのが演義のおかげであることは否めない事実です。演義は演義で、面白い物語としてこれからも楽しんでいけばいいと思います。私も演義は結構好きです。でも演義はちゃんと演義って書いて欲しいですね。滑稽なのは「三国志で学ぶ人生学」とか「三国志に見るトップの心得」とかそういう本。フィクションで何言ってるの?って感じです(^^; 99%クズ。金の無駄です。私も昔買って泣きました・・・(7)

注釈: (1)この注は後に「魏武注孫子」といわれ、長く『孫子』解釈の基本とされました。
(2)唐の時代の杜牧という学者が唱えた説ですが、残念ながら1972年に中国山東省の銀雀山から出土した、曹操が生まれる前の前漢時代の『孫子』は現在伝わっているものと殆ど同じだったため、此の説は否定されました。ただいえることは、曹操は『孫子』を書けるほどの人物と評価されていたという事実です。
(3)『三國志演義』系の民間伝承の曹操悪人像を否定した人々、もちろん正史を読んだ人々は曹操を「実に一代の英雄である」(蘇東坡)「非常に敬服している」(魯迅)などと高く評価しています。
(4)実は羅貫中が利用したエピソード集の中には、曹操と戦っていた呉の国が曹操を罵倒するためにでっちあげた「曹マン伝」という謀略文書さえありました。もちろん信頼に足る史料ではありません。
(5)これには他にも説があり、趙雲の事蹟だけを書いた「趙雲別伝」という史料が正史の注に残っており、これを羅貫中が読んでふくらましたのではないか?とも云われています。
(6)正史『三国志』にはちくま文庫から詳細な翻訳が出ています。文庫本で8冊。大変面白いもので、注釈まで訳されています。尚、この正史の内容を文庫1冊にまとめたものに「読み切り三国志」という正史の訳者・井波律子氏の著作があります。これもちくま文庫。
(7)困った事に中国でも『三國志演義』を史実と思いこみ、『三國志演義』のフィクションで出来た観光名所「落鳳坡」で『三国志』の武将をうたった漢詩を詠んで、みんなから馬鹿にされた学者さえいたようです。








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