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太平洋戦争について・軍事編


太平洋戦争に関しては語ることが多すぎるのですが、ここではまず軍事的な側面から見ていきましょう。
まず言っておきたいのは、この戦争は軍事的にはなから勝てるわけがなかったということです。
当時、軍艦・戦車など、あらゆる兵器の燃料が石炭から石油へと変わっていました。石炭であれば質は悪くとも日本でも生産できたのですが、石油はほとんどとれませんでした。そのため、戦争が始まると真っ先に石油の取れる東南アジアを征服しようとしたのです。古来こんなばかげた戦争があったでしょうか?
戦争で最も大事なのは補給であるわけですが、最初から補給線がたたれた状況で戦争を始めようとしたのです。

当時の日本の支配領域を見ればわかるのですが、フィリピン、マレーシア、果てはオーストラリアの近くまで進出しています。こんな長大な戦線を当時の日本が維持できるわけがありません。戦力の分散は軍隊で最も忌むべきものであるのに、見事なまでに戦力を分散しています。すべて石油を生産し、本国に送るためです。占領したらそれでおしまいというわけではなく、防衛部隊も置かねばなりませんし、石油を輸送する船にも護衛艦を付けねばならないのです。
燃料を手に入れるために戦略的に関係のない地点に大量の戦力を投下し、またその地域を守るために多大な戦力・経費をかけた戦争など、どう見ても戦略的には勝てるわけがありません。これが軍事の専門家のすることでしょうか?脳味噌を疑います。

また兵器の質、という観点から見ても日本は勝てるわけがありませんでした。当時陸戦の主力はタンク、いわゆる戦車に変わっており、各国はその戦車の技術競争にしのぎを削っていました。しかし日本は戦車をあまり重要視せず、開発もそこそこにしかしませんでした。おかげで日本とソ連がノモンハンで遭遇戦を行ったとき、日本の戦車ははりぼてのように破壊され、ソ連の戦車を全く傷つけることができませんでした。
また海軍も日露戦争の幻影をまだひきずっており、大鑑巨砲主義から抜け出せずにいました。当時空母の重要性が飛躍的に高まり、戦艦はこの空母の護衛や、基地の攻略・防衛が主任務となっていたのにも関わらず、戦艦大和など課題戦艦の建造にやっきになっていました。

なぜこれほど日本は遅れていたのでしょうか?
それは日本が第一次世界大戦を本格的に戦わなかったからです。第一次世界大戦に参戦したとは言っても、ヨーロッパの大規模な戦争の中、中国に取り残されていたドイツ軍を攻撃しただけで、実際にはほとんど戦っていないのです。
第一次世界大戦はそれまでの戦争のスタイルがドラスティックに変わった戦争でした。飛行機・戦車の登場、国民総力戦の必要性など、様々な革新を日本は体験することなしに過ごしてしまい、時代遅れの日露戦争の装備から全く進歩しなかったのです。

戦略・補給・兵器、全てがまずかったわけです。これで勝てるわけがありません。
よく太平洋戦争を話題に、こうするべきだった、こうしたら勝てていた、とか言う人や本がありますが、私に言わせれば戦わないこと、これ以外に日本が負けないことは無かったと思います。








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