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山田長政は実在しない?


山田長政は中学の教科書にも出てくるので、だいたいの人が知っていると思いますが、ちょっとだけ説明しておきます。山田長政は江戸初期に海を渡って東南アジアに行き、そこの日本人町を束ね、ついにはアユタヤ王朝の大臣にまでなり、国王の死後は王子を助け、どこかの地方の太守にまでなった人物と言われています。
しかし「山田長政」という人物はどの国のどの資料にも存在していないのです。では、なぜ実在しない人物が教科書にまでのっているのでしょうか?理由は太平洋戦争にあります。
もともと太平洋戦争まで山田長政という名は歴史に存在していなかったのです。当時軍部は東南アジア征服をもくろんでいました。しかし、その当時の日本人にとって東南アジアは遠い存在で、軍部としては大東亜共栄圏を正当化するためにも、国民に東南アジアを身近に感じさせる必要があったのです。そのため、日本人が昔から東南アジアで活躍していたという証拠として、山田長政という人物を意図的に作り上げたのです。確かに昔から日本人は海外に進出していましたし、タイの大臣になったという日本人の存在も確認されています。それらの海外で活躍した、名前の残っていない日本人の話を全部足して、なおかつ脚色されて生み出されたのが「山田長政」というわけです。そして今でもこの名前は日本の教科書に残ってしまっているのです。

「山田長政」という名前からして何か違和感を覚えませんか?明治後、農民が名字を得るまでは「山田」という姓は珍しかった方ですし、当時は名前は2つありました。例えば織田信長は「織田上総介」が通称でした。「信長」というのは「いみな」と言われるもので、普段は使いません。ですから「山田長政」という名が残っているのは不自然です。どうみても講談本レベルのお話です。
しかし当時の日本人が海外で活躍していたこと自体は否定すべきではありません。私は架空の存在である山田長政を教科書から消すべきだと言っているにすぎないのです。

歴史というのは権力者の意向によっていくらでも変えられてしまうものなのです。現在は明治政府の延長線上で歴史は来ていますから、例えば勤王で有名な人物は怪しい・・・かも知れません。あと尊王攘夷で活躍した中には単なる狂人もたくさんいます。楠正成もだいぶ脚色されていますよ。








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