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 龍馬日記(標準版)
少年編 剣術修行編 土佐帰国編 再度の江戸
剣術修行編
安政元年(1854)

六月二十三日(7/17)

武芸修行の期間を終えて土佐に帰国する。


閏七月某日

日根野弁治より「小栗流和兵法十二箇条併二十五箇条」を授けられる。

解説
「小栗流和兵法十二箇条併二十五箇条」は小栗流の中伝目録。龍馬にとっては二年連続の目録取得ということになります。しかも今回は土佐に帰国してから日も浅く、その間に小栗流の修行が進んだとは考えられません。これは、江戸の名門千葉道場で北辰一刀流を学んで帰国したことを記念に発行された目録だったのでしょう。


十一月頃

河田小龍のもとを訪れる。
薩摩の軍備を聞き、日本刀にのみ頼っていてはいけないことを悟る。

解説
河田小龍は龍馬に大きな影響を与えた人物として知られていますが、実際に顔を合わせたのはわずか2回ほどだったらしく、どれほど影響を与えたかは分かりません。


安政二年(1855)

十一月六日・七日(12/14・15)

徳弘孝蔵に就いて仁井田浜での砲術稽古に参加する。

解説
徳弘孝蔵は土佐藩士で、西洋砲術家。弘化二年に武市瑞山、嘉永六年には岡田以蔵が入門して修行しており、こお安政二年九月二十日には龍馬の兄権平も門人となっていた。


十二月四日(1/11)

父八平、没する。享年59歳。

解説
龍馬はこの年、21歳になっていたが、父を失った悲しみは想像するに余りあります。
なお、坂本家の家督は八平の死に先だって、この年の二月二日に権平に相続されていました。











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